日本学術会議の提言を読んでみる:学術情報流通の現在と未来 4/n

前回記事の続きです。今回は、PDFの12ページ目(6頁となっていますが)からですね。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-6.pdf#page=12

第二章第三節「(3)日本発のジャーナルの国際競争力向上のための戦略」 は、さらに3つの項目に分けられているようです。まず最初の項目をみてみましょう。

(3)日本発のジャーナルの国際競争力向上のための戦略

① 今後10年間に起こるジャーナル出版の大変革

ジャーナル発行に関わるこれから10年の潮流として挙げられているのは、 オープンアクセス(OA)化だけでなく、オープンデータ(OD)・オープンサイエンス(OS) 化を背景とするデータ出版の拡大、です。特に公的資金を用いた研究成果に関して、「その利益(成果)を市民が享受し、自由 に利用する権利が担保されるべきである」という原則が重視される傾向が強まるようです。 世界的な潮流としては、この方向が強まるような雰囲気は筆者も強く感じるところです。 先進国における公的資金の説明責任という観点はもちろんですが、途上国において 学術研究を適切に広め、多様な知のコミュニケーションを涵養していくためには、 オープンアクセス・オープンデータを基礎とするオープンサイエンスの普及がない ことにはにっちもさっちもいかない、という話を当事者の方々からうかがうことが 時々あります。ただ、日本の場合、「受益者負担」という考え方が割と根強く、 その点をどう乗り越えるかが大きな課題になりそうです。国立公文書館の 資料デジタル化提供の時でさえそういう話がでていたほどですが、 「自分に関係ないことに税金を使わないでほしい」「そこから何らかの 利益を少しでも得られるなら税金を使わないでほしい」という志向は 日本では割と強いような感じがしております。もちろん、一方で、 色々な産業政策に税金がどんどん投入されていますので、さじ加減の 問題なのだろうとは思いますが…

ちょっと脱線気味ですが、次の段落にいきましょう。理工系では Clarivate Analytics社の提供するJCR(Journal Citation Report)に掲載されるインパクトファクター(IF) が競争的環境の普及のなかで重視されるようになり、IFの値の高いジャーナルに 論文を投稿する動機になっているとのことです。これは比較的よく知られた 話ではないかと思います。人文系だとArts & Humanities Citation Indexというのものは ありますが、インパクトファクターは計算されて ないようで。ただ、エルゼビア社のSCOPUSを用いてインパクトファクターのようなものを 計算するサービスが提供されているようで、Scimago Journal & Country Rank などがそれにあたるようです。

次の段落は、ジャーナルのインパクトファクターが高騰していく様を 時系列で「牧歌的時代」「大宣伝時代」とした上で、現在は 「オープン化」の流れになりつつある、という風に理解すればよいでしょうか? この流れの詳細がこの後に説明されるようです。

「大宣伝時代」に入ると、それまでは論文発表の前の議論の場となってきた国際会議が、発表論文後にそれを 宣伝する場になってきたのだそうです。その流れで、SNSでの情報流通も研究成果のインパクト としてカウントされるようになってきたようです。

IFが重視される背景についても端的に述べていますが、これは、IFが簡便であるとともに、 これまでの業績評価に関する知識や経験の蓄積があまりなく、評価に関わる専門家も 少ないためにやむを得ずこれに頼っているようなニュアンスで説明されています。 これは非常に冷静で視野の広い見解だと思います。確かに、研究評価に関わる 専門家はごく少なく、専門家のピアレビューの集積を半ば自動的にカウントする 指標としてのIFは、対象となるジャーナルがきちんと収録されている分野においては 比較的便利だろうと思います。とはいえ、 IF偏重の弊害は最近も少し話題になりましたし、やはりなんとか解消して いただきたいことの一つではありますが、一方、予算の大枠を増やすことは 難しく、評価に関わる専門家を育成・配置すると その分研究者のポストを減らさねばならないことになってしまいがちですので、 どこをどうすればなんとかなるのか、多角的な検討の必要があるだろうと思います。

次の段落では、電子ジャーナル会社の雄、Elsevier社が、データ出版こそが今後の 収益の基盤でありジャーナル出版事業は赤字になっていくと予測していると 紹介されます。実験データの追跡可能性を担保するために 提出が求められるようになっており、適切なデータ管理の重要性が 注目されるようになってきているとのことで、これがデータ出版の動機付けと 内実ということなのでしょうか。 しかし、オープンデータ・オープンサイエンス化の潮流にのった データ出版が高収益事業の中心になる、ということなのですが、 重要性やその潮流については近いところにいるのでなんとなくわなるのですが、 そこからどういう風にマネタイズするのか、についてはちょっと想像がつかないので、 これから少しずつ勉強してみたいと思います。

このオープンアクセス化の波が学術情報流通の量的質的な拡大を もたらし、arXivのようなピアレビューを経ない論文の 大量流通へとつながっている、とのことです。arXivはご存じの方も多いと 思いますが、「アーカイヴ」と発音するのだそうで、 現在はコーネル大学図書館が運営するプレプリントサービスのようなもので、 「physics, mathematics, computer science, quantitative biology, quantitative finance, statistics, electrical engineering and systems science, and economics」分野の 1,776,352件(数字は今みたものです)の論文を掲載しているようです。新型コロナウイルス感染症に関する 論文も多数掲載されているようですが、いずれも査読を経ていないので扱いには注意が必要です。 また、これに触発されて生物学でもBioRxivというのがができているようです。 今回の提言では、これらのサービスの今後の評価についてはやや慎重な姿勢を示しています。 さらに、情報系分野でのソフトウェアのコードや開発したアプリの公開や、 その普及度や重要性をユーザが判断するような仕組みが提供されるという流れもでてきているとのことですが、 これはフリーソフトウェア運動やオープンソース運動などとの関連も気になるところです。

最後に、ハゲタカジャーナルへの注意喚起と、無査読論文の扱いに際しての課題を指摘し、 大学等の高等教育機関における現状の科学者倫理教育を高度化すべきと提起した上で、 この項目は締めくくられます。ここでの「倫理」は 法律やルールを守ることから、新しい発見の可能性の芽をむやみにつぶさないようにすること まで、かなり幅の広い言葉になりそうです。去年まで情報処理学会の論文誌編集委員をしていて、 会議のたびによく言われたのが「石は拾っても玉を捨てるな」ということで、 貴重な原石はどこに眠っているかわかりませんので、 基準に満たないからと簡単に切って捨てないような配慮をしなければ、という観点からの ギリギリの議論がよく行なわれていました。どこでもそういう議論はあろうかと 思いますが、それぞれに大変な、そういう一つ一つの小さな積み重ねが、 後に続く人たちを肩の上に乗せることのできる巨人を作り、さらに先を 見渡してもらえるようになるのだろうと 思うと、学術の未来のために大切にしなければならない現場なのだと思います。 大変ですが、がんばっていかねばと思います。

また2頁ほどしか進みませんでしたが、今夜はこれくらいにしておきます。