日本学術会議の提言を読んでみる:学術情報流通の現在と未来 2/n

さて、前回の記事の続きです。

PDFを途中から開きたい場合は、PDFのURL末尾に「#page=9」という風につけると 9ページ目が開く、という感じなのですが、これはみなさんご存じでしょうね。(もし初耳という場合は 今後ご活用ください)。

というわけで、9頁目、第二章から始めましょう。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-6.pdf#page=9

2学術情報環境の現状と課題、展望

いきなり冒頭の段落から強烈な自省が示されます。

旧態依然とした縦割り制度によって関連組織間の連携が成功しなかったために、それぞれの関係機関で の最適解の追求に終始することになり、学術情報システム全体の最適化に失敗した

「旧態依然とした」という表現でまとめてしまってよいのかどうか検討が必要だと 思うのですが、いずれにしても、変えなければ学術情報流通の専門家だけでは議論が なんともならない状況に追い込まれているにも 関わらず変えることができていない、という風に受け止めておきます。

個人的には、関係機関の最適解の追及が結果として全体に一定の効果をもたらすような 枠組みを用意できればとも思うのですが、それはみなさんわかっておられることで、 おそらくは予算的にも人員的にもそれができなかったということなのでしょう。

結果として現在に残された不完全なシステムの機能不全による障害が顕在化している

という認識が日本学術会議の分科会から出てきているということは、自省する 力を持った組織であるという捉え方もできるかと思います。

次の段落では、DX、AI、OA,、OD、 OS、といった、この種の話に良く出てくるキーワード で今後の展開がまとめられますが、「ピアレビューによる評価を経ない学術情報が溢れ、インター ネット市場が価値を決める新しい学術情報発信・流通システムが拡大する」なかで、 我が国がさらに周回遅れになることについての懸念が表明されています。実際のところ、 SNSで流れる大量の謎情報への対応は我が国ならずとも対応に苦慮しているところだと 思いますが、そこで、一定の評価を得た日本語の情報を適宜投入できないような 状況になってしまうと、学術のみならず、日本社会そのものがますますまずいことになるように思います。 そのあたりで、国債ジャーナルに論文を載せることだけでなく、日本語で様々な ステイクホルダーへの発信をすることも評価していく必要があるのではないかと 思うところです。

「時代遅れとなった古い組織やシステムを速 やかに再構成し、学術情報流通の大変革時代に相応しい新しい学術情報環境を再構築して 国際競争力を強化する必要がある。」

としておられるのが、どれくらいドラスティックな再構成を構想しているのか、この先で 示されることでしょう。

さて、次に、この章は、以下の項目に分けられます。が、どうも(3)が2回出てきているような 気がします。目次の方もそうなっているようです。

(1)学術情報環境の動向と関連する提言の総括 (2)一括契約による学術情報ジャーナル購読問題の解決 (3)日本発のジャーナルの国際競争力向上のための戦略 (3)オープンデータ/オープンサイエンス (4)学協会の機能強化に向けて

ここまで書いてみて、すでに気になっているのが、Web上での提言の参照しにくさです。学術情報の未来を論じる 文章がPDFの頁単位でしか参照できないというのは、なんとももったいないことです。学術振興会のWebサイト 全体のことなので、これだけどうこうするというわけにもいかないのでしょうが、他の提言等も、もっと 参照しやすい形にしてもよいのではないかと思ってしまいます。段落単位での参照くらいは できてもよいのではないだろうかとは思いますし、広く社会に発信すべきと考えて提言を作っているなら、 引用もしやすい形にしておくのがよいのではないかと思います。この提言自体がそういう志向を 持っているようにも思われますので、たとえば実験的にこの提言をそのようにしてみるといった こともあり得るのではないかとも思います。権利関係がどうなっているか等、難しいこともある のかもしれませんが…

というわけで、次は、第二章の(1)、

(1)学術情報環境の動向と関連する提言の総括

です。これまでの学術情報流通の状況について、厳しい評価がならびます。 「構成員のセクト主義や厚い壁の存在」「機能再生や再構築を進める仕組みが組込まれていない」 ということで、「学術情報を支える組織やその機能はこれからの大変革時代に対応できない。」 とされています。セクト主義や厚い壁の存在というのが具体的に何を指しているのかは、 この後で明らかにされるのかもしれませんが、壁を越えるためにはそれなりのコストや犠牲が 必要で、それを引き受けられるところ/人があまり多くなかったということなのだろうと思います。 個別の分野での対応については、前回の記事に述べたような色々な提言があり、なかには それなりに実現できたところもあるのではないかと思いますが、この提言はもう少しスコープが 大きいので、その観点からすると(全然)足りなかったということでしょう。

 そして、学術会議としては、すでに2010年には「包括的学術誌コンソーシアム」の設置を通じて アクセスと発信それぞれに対応したり専門家を雇用して対応したりすることを提案した ことを挙げています。組織を作ったり人を新たに雇用したりするというのは要望は できてもこのスクラップ&ビルド時代ではなかなか難しいところでもあり、大学図書館も どんどん人員を減らしているなかでは新規雇用は難しかったのかもしれないとは思います。 比較的身近な例だと、国立デジタルアーカイブセンターを作りたいという話を聞くことが ありますが、これもやはり、組織を作ったり雇用を発生させたりとなるとなかなか難しそうではあります。 とはいえ、URA(University Research Administrator)など、新たな職種が徐々に広がりつつあることもあり、そういった流れを 学術情報流通では作れなかった、ということは言えるのかもしれません。そのあたりの 大きな判断の流れについては、私のところからは全然見えません。見えてもどうなるもの でもないので、結果を受け止めるしかないのですが…。

 雑談めいた話が続いてしまって恐縮ですが、基本的に筆者が主観で 読んでいるだけなので、今後も雑談まみれになっていくことをご容赦ください。

 というわけで続けますと、次に「に大学図書館コンソー シアム連合(JUSTICE)」の設置の話が出てきます。JUSTICEは、学術データベースの 値下げ交渉でいくつか成果を上げているようで、人文系でもその恩恵を蒙っており、 たとえば、近藤和彦「ECCOからみえるディジタル資料の宇宙」『歴史学研究』2020.9 にて 感謝とともに記されています。ただ、何にどれくらい成功しているのかが外からは少し見えにくい のがちょっと残念なところです。

 この次に出てくるのは学術雑誌の刊行について科研費に大きく依存していた という件ですが、これは全体の割合からするとそんなに大きくないのではないか、 という気がします。私の関係する学会でも少し前までこの助成を受けていたところが ありましたが、一方で、科研費の支出ルールは論文雑誌出版のペースと相性が悪い ということで科研費に頼らない雑誌刊行を心がけているところも結構ありました。 その後、「出版事業支援」から「国際発信力強化」に名目が変わったとのことで、 実際に、要求される内容が結構変わったことを記憶しています。JSTがジャーナル 無料電子化事業を実施したのはこれよりも少し前くらいだったでしょうか? NIIでもNII-ELSという学術雑誌電子化支援事業に取り組んでいました。 提言に戻ると、「しかしながら、補助金を受けた学協会の 多くは海外の出版社に業務委託するという出版モデルから脱することがなかった」との ことで、理工系の大勢はそうだったのでしょうね。ここでは国内の 学術出版関連の人材育成にも結びつけたかったのにうまくいかなかった、 ということが述べられています。部分的には、たとえば学術情報XML推進協議会 が作られて技術の共有などをすすめてくれているおかげで、 学術雑誌を記述するための国際標準的な 規格であるJATSに準拠したXMLデータを作ってJ-Stageに アップロードする作業に対応できる印刷会社は結構増えてきていて、 つまりそういう人材が育成されてきているということで、また、 値段も下がってきているように思います。 とはいえ、「…の壁は厚く、国内の機関や学会が 一丸となって取り組むことができなかった。」 とあるように、個々の学会の動きはやはりそんなに軽快ではなく、 というより、一部の人達が大幅に仕事のやり方を変えなければならず 多くの人がそれにあわせて多かれ少なかれ対応しなければならない という状況は、なかなかハードルが高かったのだろうと思われます。 海外勢がどんどんデジタル化を進めていくなかで、我が国の研究者も 海外志向が強まっていたこともあり、結局国内学協会の学術雑誌は 海外の競争から取り残されてしまった、とあります。これに関しては、 国内学協会がそれに取り組むインセンティブが弱かったということに 尽きるだろうかと思います。主体はいずれも研究者ですが、海外ジャーナル での論文掲載が業績として高く評価されるという状況で国内雑誌に 力を入れるのはどうしても二次的にならざるを得ない、というのが 特に理工系では大きいでしょう。人文系の方は、少数の研究者が 手弁当で編集をするところから、商業出版社が刊行を引き受けて 書店にも並べてくれるところまで、非常に多様で、商業出版社は デジタルへの抵抗感が強いところが多く、少数の手弁当雑誌は 担当者の努力次第でデジタル公開される場合もある、というような、 個々に様々な状況があります。最近は、J-Stageが無料論文公開の ハードルをかなり下げてくれたおかげで、かなり楽に論文公開が できるようになっています。研究者でも、Webで成績入力できる くらいのITリテラシーがあれば、J-Stageで無料で論文雑誌公開が できます。そのくらいのことになっていますので、たとえば 日本歴史学協会が出している 「公開要望書 国立国会図書館デジタルコレクションの公開範囲拡大による知識情報基盤の充実を求めます」 や 「国立国会図書館デジタルコレクションによる学会誌のインターネット公開についてのご案内」 といったあたりの話も、前者で「学会・協会が独自に学会誌のデジタル化をすすめるのは費用がかさみ、対応できないという現実」と 書かれていますが、個々の研究者がワードで書いた文書をPDFにして出してもらって、それをJ-Stageにアップロードする、という 方法が、大規模な雑誌だと外注せざるを得なくて外注すると確かにお金がかかりますが、小規模なら頑張れば手弁当でも可能なので、 その方向も真剣に検討してみていただいてもよいのではないかと思ったところでした。

日本語の雑誌は、日本だけからアクセスできればよいというものではなく、海外の日本研究者 から期待される面も大きいので、デジタル化を進めるのは日本語論文雑誌においても、というより、 むしろ、日本語でも学術が行なわれているということを世界に見えるようにしておくために 必要です。そのあたりのことは、たとえば、少し前の本ですが 江上敏哲『本棚の中のニッポン 海外の日本図書館と日本研究』(オープンアクセスなのでリンク先で読めます)などを読んでいただくと 状況がわかるのではないかと思います。筆者も以前にそういうことをテーマにしたブログ記事を書いたことがありました。

digitalnagasaki.hatenablog.com

この方面の話は、いつまでも続いてしまうので、今夜はこのあたりにしておきたいと思います。「提言」はまだまだ長いので、引き続きお付き合いいただけますと幸いです。