このところ、COVID-19のために世界中で会議が中止・延期になってきています。かく言う筆者も、2月末くらいからほとんど出ずっぱりだったはずの予定がほぼなくなってしまい、自宅か職場近辺(自転車通勤)をうろうろしております。
イベントの中には、情報処理学会全国大会のように、大規模学会であるにも関わらずオンラインで開催してしまう例もでてきていて、さすが情報処理学会、と圧倒されるところです(身内褒めです)。
その少し前ですが、筆者は、3月上旬に、東京大学大学院の人文情報学拠点(いわゆるデジタル・ヒューマニティーズの教育研究をしているところ)のゼミで一緒に研究をしてきた小風尚樹氏と、ボストン近郊のマサチューセッツ州ノートン市にあるWheaton Collegeで開催されるワークショップに呼んでいただいて講演をする予定がありました。Wheaton Collegeには現在、デジタル歴史学の代表的な研究者の一人でありTEI協会の理事長をしておられる Kathryn Tomasek先生がいらっしゃり、これまでにも共同でデジタル歴史学に取り組んできており、その一環としてのワークショップでした。
しかしながら、3月上旬ということもあり、直前で出張をキャンセルすることになりました。そこで、ご相談の結果、ビデオ会議システムの雄、Zoomを用いて遠隔講義を実施することになりました。遠隔ということもあり、小風氏の発表に限って実施していただきましたが、先方は20人ほどの参加があり、それほど大きくないカレッジで、"Stakeholders in the British Shipbreaking Industry"というテーマで、しかもデジタル歴史学、というマニアックな内容にしてはなかなか人が集まってくださり、質疑応答も盛り上がりました。それまで会ったこともなかった人から受ける興味深い質問、という、国際会議ならではの体験が自宅にいながらにしてできたという経験は私にとってはなかなか新鮮なものでした。
ここで思い出したのは、(ここの2段落は筆者の思い出話ですので、興味がない方は飛ばして次の次の段落に行ってください)かつて筆者が担当していた遠隔講義の話です。もうずいぶん古い話になりますが、2001年10月に山口県立大学に着任した際、頼まれていた仕事の一つは、少し離れた山口大学とを結ぶ遠隔講義システムの構築と運用管理でした。まだ光ファイバー網が県内に張り巡らされ始めたところで、その目玉事業の一つだった(ので、開始された際にはセレモニーがあって地元の新聞の一面に載りました)。遠隔講義システムは、専用に開発されたもので、100席以上ある学生用机にはそれぞれマイクが装備され、講師用机に配備されたタッチパネルに座席のアイコンがずらっとリストされて、いずれかの座席のアイコンをクリックするとその席についている学生の顔がカメラでクローズアップされて(これは事前に各座席の位置がプリセットされている)、発言を許可する、という風になっていました。諸々あわせて1500万円かかったらしく、私が着任した時はすでに設置作業が開始されている段階で、かなり大がかりなシステムでした。
当時難しかったのは、これで実施された授業を制度的にきちんと単位化できるようにすることと、これを使って授業が可能な授業とその担当講師を見つけることでした。そこは端折るとして、結果として、私も授業を1コマ配信することになりました。いわゆる一般教養+工学系向けの授業として、工学倫理の授業を配信しました。情報倫理をやっていたので工学倫理もできるだろう、という話になったのでした。当時の単位認定基準をクリアするのに色々な工夫があり、結果として、手元に100人、先方に150人くらいの授業として展開する形になりました。各座席に用意されたマイクにはY/Nのボタンも用意されていて、そのボタンを使ってアンケートを随時とって、それをグラフで画面に表示できるようにもなっていました。慣れた頃には、アンケートの結果⇒学生に詳細を聞く⇒それに基づいてその場でアンケートを作成、というようなこともしていました。専用システムで「あちらの部屋の全体」を見るのと「各学生の座席に注目する(各座席のマイクで音も拾える)」がさくさくと切り替えられるようになっていたので、私語をしていそうな学生の席にあわせて私語をしているかどうか確認してちょっと注意をする、といったこともできていました。(今はどうかわかりませんが、当時は私語があると授業後や授業評価で「どうして私語を注意しないのか」というクレームが学生から出ていたことがありましたので)。そこで働いていたほとんどの期間、前期も後期も1コマずつそういう授業を続けたことになりますが、当時は専用ハードウェアが必要だったものが、今はそれとほとんど同じことがソフトをインストールするだけでできてしまうというところに技術の進歩を深く感じたのでした。特に、カメラ位置のプリセット、という話が各人のノートPCやタブレットについたカメラで対応できるようになったという点(その背景にある諸々の技術進歩)に圧倒されています。
さて、思い出話はともかく、今回、Wheaton Collegeでのワークショップで痛感したのは、もう、「海外出張旅費(を払えるほどの研究費)を持っていない」ということがディスアドバンテージにならないのではないか、ということでした。Zoom自体は2年前くらいから使っていて、特に欧米の人達と会議をするのによく使っていましたが、ちゃんとした研究発表の場で、発表者がZoomで発表する様をZoom経由でリアルタイムに見るのは多分これが初めてでした。それまでもSkypeでは結構やっていましたが、Skypeは一対一が基本で、一対多だとあまりうまく動いてくれなかったり、音が途切れやすかったり、結果として質疑応答があまりうまくできなかったり、ということがありました。ソフトウェアの違いというよりネットワーク環境や各種ファシリティの進歩の結果かもしれませんが、今回Zoomで実施した国際ワークショップは、あまりにも自然に、発表が行われ、質疑応答がなされました。
これまでもすでに可能ではあったことですが、今回のように、情報処理学会全国大会のようなところでもビデオ会議システムで開催されたことで、認知度は一気に高まったと思います。海外でも、このようにしてやむにやまれずZoomによる会議が実施される動きが広まれば、こういうことにはやや後ろ向きな学術界でも、ビデオ会議システムでの公式な国際学術大会のようなものを開催するということが現実的になっていくことでしょう。その結果、「旅費がとれなくても国際会議で発表ができる=(遠くの国にいるあの人に発表を聞いてもらってコメントをいただける AND 世界のどこかにいる共通の関心を持つ見知らぬ人と話ができる)」ようになるのだとしたら、いよいよ、かなりのゲームチェンジが行われるようになるのではないか、ということを実感したところでした。良い発表論文さえ書ければ、研究費をとれてなくても、世界のどこかにいる似たような関心を持つ人を見つけて話をすることができる、というのは、国際会議に行くようになって初めて似たような関心の人達をたくさん見つけることができた自分としても、非常に魅力的な話です。
これはすでに多くの人が気づいていることだと思いますが、これまで、国際会議で発表するためには、出張旅費を確保するための予算を自ら取れるか、あるいは、予算をとれる先生についているか、といったことがほぼ必須でした。つまり、研究費をどうにかすることについてのそれなりの知識(とおそらく経験)がなければ国際会議発表は非常に難しいことで、それゆえに、それができる程度の各種知識と経験を身につけることが多くの分野の研究者にとっては必須事項であり、そうでなかった分野も国際化を求められるなかでそうせざるを得ないようになっていきそうだったのですが、むしろ、それがなくても国際会議発表ができるようになってしまう未来が、すぐそこにやってきた、ということになります。
そして、そうすると気になるのは、以下の2つの事柄について説明を求められるようになるのではないか、ということです。
その国際会議に敢えて旅費を支出してリアル参加する理由
旅費なしで国際会議発表できるのにしない理由
1.に関しては、実は結構説明が難しく、国際会議は、発表の後にも議論を続けて、一緒にご飯を食べたり何かのトラブルを一緒に解決したりしながら親交を深めることで、共同研究を始められるような(=一緒に研究助成金を申請するような)信頼関係を作ったりする面があるので、基本的に、旅費があるならなるべく国際会議には参加して、日本人の仲良しだけで固まらず、なるべく現地の人とか、別の国の人のオープンなコミュニティに混じってご飯を食べたり話をしたりすることを周囲には推奨していますが、「敢えて旅費を支出する理由」として「関係者と親交を深めるため」というのが広く認められるか、というところが気になります。研究を主にしている大手大学なら無問題だと思いますが、大学によってはそういうことを聞いてくる事務方があるかもしれません。そのような、当たり前すぎて説明する必要があると思ってなかったようなことを聞かれると、割と心が折れやすいので、それに対する説得力のある説明をきちんと用意しておかないと、早晩、あちこちで悲嘆の声を聞くことになるかもしれないと、少々危惧しています。
やや余談ですが、このことに薄く関連して面白い体験が一つあります。これも偶然に小風氏関連なのですが、小風氏が主宰する東京デジタルヒストリーという学生団体が2年前にシンポジウムを開催した際に、登録者限定でZoomによる配信を行いました。その時私はたまたまロンドンに滞在しており、ロンドンからZoomでつないでみなさんの発表をおうかがいしていたのですが、偶然にも他に2名、ロンドンからZoomで閲覧しているという人がおり、うち一人はそれが初対面だったのですが、Zoomのチャットで意気投合して3人で一緒にご飯を食べに行った、ということがありました。Zoomは視聴している間に他の視聴者とプライベートチャットができるため、そのようなやりとりを通じて、現地の会合に参加していなくても、関心を共にする人と親交を深めることができたというのはなかなか面白い経験でした。
2. については、これまでも国際ジャーナルに論文投稿できるのにしてない、という批判はあり得たわけですが、ジャーナルは一定の長さのものが必要な上に査読も厳しく、分野によってはそんなに種類も多くなくて適した投稿先が見つからない、といったことも言えたかもしれません。しかし、旅費を出さずとも国際会議で発表できる、ということになると、事情はずいぶん変わってくるでしょう。国際会議はジャーナルよりも間口がずっと広いですし、十分にまとまっていない挑戦的・実験的な発表を受け入れているところもたくさんあります。国際会議発表を抵抗なくできる人であれば、今の流れだと、旅費用の研究費を取れる人だけでなく、取るのが苦手な人でも、国際会議発表をどんどん増やしていくでしょう。そこでは、国際会議発表をしてない人との研究業績の差がますますくっきりと見えるようになってしまって、「なぜ国際会議発表もしてないのか」ということについての説明を求められる世界が間近に迫っているように思われます。
ただ、ここから、国際学術ジャーナルがたどった道筋(業績稼ぎのために泡沫的なジャーナルが乱立した)を振り返ってもう少し想定を進めてみると、2. のような状況を踏まえ、いわゆる泡沫的な国際会議が乱立することが予想されます。Zoom等でのインターネット上でのビデオ会議は限りなく大量に同時進行させることができますので、早晩、とんでもない数の「国際会議」が開催され、「国際会議発表」が量産されることになるのだろうとも思います。もちろん、業績評価の局面では、国際会議発表の評価はジャーナルに比べるとそんなに高くない場合が多いので、そういう意味ではジャーナルのようなことにはならないかもしれませんが、評価指標的なものとしてはあてにならないような、せいぜい、一定数、コンスタンスにこなしているかどうかを見る程度のものになってしまうのかもしれません。
ちょっと後ろ向きなことばかり書いてしまいましたが、それでもやはり、先週のWheaton Collegeでの小風氏の発表で感じた、「きちんとした場を作った上でのビデオ会議による発表が太平洋を越えてもたらした臨場感」は、今後の学術界の新しくポジティブな可能性を想像させずにはいられないものがありました。
ちなみに、Zoomというソフトウェアは、今のところ、手軽にビデオ会議を始めたい時にはとてもおすすめです。パソコンでもスマホでもタブレットでも簡単に使えます。パソコン同士だと、ホスト側が「招待URL」を送れば、参加する側はクリックするだけでGoogle Chromeにて会議に参加できます。スマホやタブレットだとアプリをインストールする必要はありますが、他のアプリの操作が普通にできるなら特に難しいことはありません。特にお勧めなのは、ホスト側が登録していれば、参加者側は登録などせずとも使える、という点です。参加者側の負担が非常に少ないです。筆者はこれまで、会議だけでなく、海外に行っている大学院生の論文指導にも使ってきました。
Zoomは、ホストを担当する人がユーザ登録をすれば無料で使えますが、その場合、参加者100人まで、40分で切れて再接続しなければなりません。40分ごとに再接続しても問題ないのであれば無料でも問題ないと思います。また、1対1での通信なら、無料でも時間制限なく使えるようです。
筆者のおすすめは、「プロ」プランです。米ドルで支払うと月々14.99ドルで、参加者100人まで、24時間までのミーティングができるようで、録画やその他細々とした便利な機能がついてますので、大人数でなければこれで十分ではないかと思います。ゼミ等を運営している教員であれば、この金額を支払うのはそんなに難しいことではないでしょうし、何らかのコミュニティであれば皆で分担するとかなり安価になりそうです。
Zoomの料金体系については、詳しくはこちらをご覧ください。
つい、Zoomをおすすめしてしまいましたが、他にもSkype やHangoutなど、類似の便利なサービスがありますので、色々試してみていただいてもよいかもしれません。
というわけで、筆者の最近の体験が、多少なりともお役に立つことがありましたら幸いです。