日本学術会議の提言を読んでみる:学術情報流通の現在と未来 8/n

前回に続いて、日本学術会議の提言「学術情報流通の現在と未来」を読むシリーズです。 8回目です。

今回は、学協会の機能強化という話になるようです。

(4)学協会の機能強化に向けて

① 我が国の学協会の現状と将来予測

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-6.pdf#page=19

冒頭からいきなり、深く肯かざるをえない状況説明があります。

我が国では小規模で狭い専門分野の学協会が乱立し、手弁当での運営を余儀なくさ れているとともに、その多くは会員の減少に苦しんでいる (中略) 今後さらに少子高齢化による会員減少が加速化すると、いずれは海外の学協会や隣接した分野間での会員獲 得競争が始まり、一部の学協会では活動が立ちゆかなくなる事態も想定される。

人文系もまさにその通りになっています。そもそも大学院進学者が減っているようで、 学会の「若手」も減る一方、というところが少なくないような感じです。私が 大学院生だった頃と異なり、非常に厳しく指導してそれでもついてくる人だけを 相手にする、とか、だめな点だけを指摘しておけば解決策も自力で考えるし メンタル的にも問題は生じない、とか、将来は大変だけどそれでも大丈夫か と念を押して、それでも進学する人が結構いる、とか、そういう時代ではなくなって しまっていますが、そういう状況にあわせて学会の在り方から雰囲気まで作り替えていく というのはなかなか難しいようです。特に、周囲の環境の変化も大きいところです。 私が院生の頃、1990年代半ば、指導教員に言われたのは「同期が課長になって子育てもしている頃、 予備校の先生でもいいですか」ということでしたが、今振り返ってみると、 予備校の先生でいられたらかなりいい方です。その頃は塾講師のアルバイト代も 今よりはずっと高かったように思いますし、教育産業が基本的に華やかでした。 その後の少子化によってシュリンクしていくことはなんとなく見えていましたが、 まだ持ち直すかもしれないという期待感も少しありました。そのようなことで、 大学院に進むにあたっても、セイフティネットのようなものが教育産業 の中で自然と形成されていたような感じでした。現在は、少子化により教育産業もかなり 厳しい状態になっているようで、院生がどこかで勝手に食い扶持を見つけて きてくれるので研究指導さえしていればよい、という状況ではなくなって しまっているような気がします。そのような状況で学会が院生や若手の集う 場になろうとするためには、むしろ若手のプロモーションを真剣に考え、 彼らが知的充実感を得られるような場を提供していく必要があるでしょう。 そういう方向に進むことのできている学会もあると思いますが(その意味で 情報処理学会には学ぶべきものが多いと思っています。)、困難に 陥っている学会も少なくないと仄聞しています。

次の段落では、海外の学会の大規模化と収益構造の話が出ています。会員の規模だけでなく、 出版やデータベース販売などの営利事業からの収入もあるのだそうです。 確かに、海外だと、学会の会場がシェラトンホテルとかマリオットホテルの貸し切りだったりと、 日本だと理工系の裕福な分野でなければなかなか想像できないような学会が人文系の学会でも あります。ただ、学会の参加費も相当高額なので、何かもう少し、常識のレベルで異なる事象が あるのではないかとも思うのですが、それはそれとして次にいきましょう。

…と、この先もしばらく、日本の学会の先行きが暗いという話が続きます。 「資格認証や検査事業等の営利事業収入がある工学系学協会」は潤沢だが、 会員2000人以下の学会は基本的に下降線であり、一方で学会活動維持の 負担が若手に集中してしまうことが問題視されています。これもまったく おっしゃるとおりで、ぐうの音も出ません。私もいくつかの学会で結構な 仕事を負担をしていて、ある年、さらに一つ増やしたら完全にダブルブッキングしてしまって 全然仕事ができなかったので翌年度は委員を外されたということがありました。 先方にもご迷惑をおかけして、それまでの学会の仕事も精度を下げてしまった ので、ひたすら反省するしかなかったのですが、まあそんな感じでどこも 厳しい状況なのだろうと思います。

 提言の方では、やや厳しく、中小学会の盲目的な継続による弊害を問題視しています。 後ろ向きな理由だけでなく、「新領域を開拓し学際領域へ拡大することによって当該分野の発展を先導し、 国際競争力を維持強化するという本来の学協会機能を発揮するためにも」とのことですので、 そのような高い志をもって学会の連合や統合を検討していくことは今後(すでに今も、ですが) 重要であろうと思います。

 なお、人文系や人文情報系でも、そういう風にした方がいいのではないかと思われるものは いくつかあるのですが、話を聞いてみるとそれなりに色々理由があって、 今の主導者が生きている間はなんとかして続けるのだろう、という話になってしまうことが多いです。 実際のところ、学会の場での議論の性質が全然違う場合もあり、簡単に統合してしまってうまくいく わけでもないということもありそうですので、まだちょっと時間がかかりそうな事柄です。 自分が関心を持たない議論に接した時に「そんな議論に何の意味があるのか」ということを言わない人が増えるといいのかもしれない、とは 思うのですが…。その当たりのメンタルというか発言様式のようなものも少し変えていく必要が あるのかもしれません。

さて、次に、いよいよ学術出版の持続可能性の方に話が進みます。

② 我が国の学協会による学術出版の持続可能性

これまでの話の流れを受けて、小規模学会による零細出版の問題と、大規模化の必要性が ひたすら主張されます。概ねおっしゃるとおりですが、国内人文系学会の場合、 一つ大きく状況が違うように思われるのは、 「会費を投入して多くの被引用数ゼロの論文を出版する意義がどこにあるかという批判」 という点でしょうか。被引用インデックスを作っていないのでなんとも言えない面も ありますが、基本的に、極めてオリジナリティの高い内容のものが多く、 引用云々というより、続く研究の礎として、すぐにではなくても数年後、 十数年後、数十年後にさらに大きく華開くようなものも少なくありません。 そこまでいかずとも、引用が全然行なわれないような論文は少ないように 思われます。(私が知らないところにはそういうものもたくさんあるのかも しれませんが…)。

とはいえ、零細出版が持続しないであろうことはまったくその通りです。 ここでは編集・出版の集約化を行なうことでスケールメリットを出していく ことが提起されていますが、それも一つの選択肢だろうと思います。 ただ、編集・査読体制をうまく整理しないと、ダメな論文がするっと 掲載されてしまったり、良い論文なのに査読者のスタンスの違いで 掲載されなかったり、といった事が、下手をすると分野単位で生じてしまい かねないので、とにかく、やるならうまくやっていただきたいところです。 ただ、「外部の出版法人組織としてベンチャー化するなどの将来展開」 あたりになると、ちょっと広げすぎかなという気もしないでもないです…

というわけで、次は学協会の連携・連合・統合化の話に入るようです。

③ 学協会の連携・連合・統合化による活動強化に向けて

これまでも連携・連合・統合化は提言されてきたそうですが、 実のところ「連携・連合体による事業の共同運営には、強い法人会計上の制約」 がネックの一つになっているようです。たしかに、会計的な難しさがあちこちに 顔を出すであろうことは、小さな一般財団法人に属している身としては なんとなく想像つきます。とはいえ、

「統合以外にオプションがないという追い込まれた状況での合併は失敗する」が、「余力がある内に未来志向で行った合併は成功する確率が高い」

ということが米国における大学統合でみられたようですし、それはもっともなことだと思います。

とにかく学会活動はスケールメリットが大きく、なるべく大型化した方がよいと 強調されます。 そして、統合体が難しいとしても連合体なら可能なのではないかということで、 地球惑星科学分野における「公益社団法人日本地球惑星科学連合」の事例が紹介されます。

個人的な経験からしますと、組織が大型化するとコンセンサスの形成が大変になって、 上が取り回す新しい動きはある程度できるとしても末端からの新しい動きがしにくくなってしまう 面があるように思ってまして、新たに小さなものができていくこと自体はかまわない が、いずれそれが大きな連合体に属していくような、そういう流れならよいのかもしれない と思ったりもしました。

そして、学術会議が連携・連合に向けてあまり機能できなかったことを 反省しつつ、今後、なんとかして推進していくことを検討すべきであるとしています。

そしていよいよ、最後の章の提言に入ります…が、今夜はこれくらいにしておきたいと思います。

第三章 提言

日本学術会議の提言を読んでみる:学術情報流通の現在と未来 7/n

さて、またまた前回の続きです。このあたりから、より具体的に方策を検討していくようです。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-6.pdf#page=18

(3)オープンデータ/オープンサイエンス

② オープンデータ/オープンサイエンス時代の知財リテラシーと必要な人材

タイトルの通り、知財リテラシーと必要な人材、という、これがなくては本格的な仕事ができないという 話に踏み込んでいきます。 「オープン化」は、自由な再利用と再配布を含意するようになってきているが、研究者の側に その理解が十分に広まっておらず、OD/OAジャーナルへの投稿に際してはこういった知財管理的なことに ついて特に留意すべきであるとしています。また、研究データに関しては、知財の観点だけでなく、 データの検証性を確保して公正性を担保するという文脈もあります。一方で失敗した実験データの 管理も求められることになります。こういった条項を踏まえつつ日本の研究を適切に 発信していくためには「研究データマネージャー」のような職種を設ける必要が あるとしています。

人文系の場合、分野によって色々あると思いますが、知財リテラシーという観点では、 (1) 一次資料の所有権、(2) そこから作成したノートやカード等の著作権、(3) 成果物の著作権といったあたりが 出てくるでしょうか。研究者側では(2)と(3)が主に関わってきますが、(2)に 関しては、前回のブログ記事での「二次研究データ」にあたるものと考えてよい だろうと思いますが、個人的に作成されたものの多くは基本的に公開を前提として作っているものではなく、 ごく一部の大家のものをのぞきほとんどはやがて死蔵され存在を忘れ去られていくことが多いものだろうと思われます。 また、協働で作成する目録等の場合には公開を前提として作成される場合もあるようです。そのような感じです ので、もし理工系のOD/OAジャーナルのようにデータ公開を求めてくる流れになるのであれば、 やはり同様に知財リテラシーが必要になっていくことでしょう。 一方、(3)に関しては、OD/OAジャーナルであればオープン化されることになりますが、 これをどのようなレベルでオープン化するか、という判断をすることになると、やはりある程度の リテラシーはあった方がよさそうです。これまでは著書出版であれば出版社があれこれ やってくれて、いつのまにか国立国会図書館で永久保存されているというものであり、 ジャーナルへの論文掲載であれば、学会やジャーナル発行会社が面倒をみてくれて、 あとは同様にであったように思われます。基本的に、かつては研究者があまり研究以外のことを 考えなくて済むような仕組みが形成されてきていたように思われるのですが、そこのところが 予算を削減されつつの変革期である上に人数が全体として減ってきているといことで、研究者が 色んなことに自ら配慮しなければならないという、なんとも厳しい状況に 陥っているところもあるようです。

そのようなわけで、こういったことを扱いつつ、人文学のデータに固有の状況も 把握して全体に反映させられるような「研究データマネージャー」人材は、人文学としても 今後重要になっていくと想像されます。

さて、この箇所は短く、もう終わってしまいました。 次は「(4)学協会の機能強化に向けて」となっておりますが、実はもう眠くなってしまって おりまして、続きはまた次回ということでお願いいたします。

日本学術会議の提言を読んでみる:学術情報流通の現在と未来 6/n

さて、前回記事の続きです。

いよいよオープンデータ/オープンサイエンスの話に突入です。 この節の番号が前と同じになってしまっているのは、学術会議の提言の オーサリングシステムがXML化されていれば大丈夫だった可能性が高いのに…、という、 論文XML化の件と同じような構造の話になっていて、やや興味深い ところです。もちろん、LaTeXでもよいのですが、要するに章・節の ナンバリングを完全に自動化するかワードのように部分的に手動で 頑張ってしまうか、という違いが現れているところです。 こういったこともあるので、論文本文のXML化をしておくとよい、 というこの提言の内容につながるわけですね。

さて、冒頭がちょっと冗長になってしまいましたが、続けます。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-6.pdf#page=17

(3)オープンデータ/オープンサイエンス

① オープンデータ/オープンサイエンス時代の研究データ管理

まずは研究データ管理の話です。2016年の提言ですでに指摘している そうですが、個別分野においても大学等でも、研究データの 運用に関する取り組みが進んできているようです。研究倫理や 公正の観点からもデータ管理は重要であり、文科省から 10年保存の通達も出ているところです。なかでも、 オープンデータ化は、研究の再現性の検証とデータ再利用による イノベーションの触発に寄与するとのことです。これは人文系においても 割と重要なことで、論文の査読をしろと言われて、論文内で参照されている原本(写本など) を確認しようとしても、原本は門外不出で時間をかけない交渉をしない とみせてもらえない、ということもあります。このような場合に、 デジタル情報が公開されていれば、そこで再現されている限りにおいては 確認ができますが、そうでないとお手上げ、ということもあります。 また、資料のデータや、研究に際して作成したデータが公開されているのであれば、 それのみで新しい発見をすることは難しくとも、他のデータと 組み合わせることで新たな文脈を見出したりといったことも あり得るでしょう。これも、デジタルデータになっていなければ、 機械可読性云々の前に、そもそも資料が出会ってもらえる機会も なかなか得られないことでしょう。

これに関連して最近気になっていることの一つに、人文系の研究データと言った場合に、 その内実が少なくとも二つに分けられるようだ、ということがあります。一つは 資料をデジタル撮影したりデジタル翻刻したりした、いわば、研究対象資料の デジタル代替物、もう一つは、そういったものから何らかの知識を抽出した データ、です。後者は、カードだったり、ノートだったり、目録だったり、 色々なものがあり得ます。また、語彙集や索引などもこれに含むと 考えたいところです。研究者による知的な判断が比較的大きく含まれるもの、 という風にみておきたいところです。もちろん、デジタル翻刻もまたかなりの 知的判断を要するものではありますが、一方で、デジタル翻刻は、 基礎的な資料として利用されるようにするために、 なるべく研究者の主観が含まれないようにすることを志向するため、 そこから知識としての情報を取り出すという行為とは方向性に 大きな違いがあるように思われます。そこで、そのような基礎的な資料 という方向性を強くもった研究データと、これもまた客観性を 持つことを志向するのではありますが、しかしながらより積極的な 判断が加えられるものとしての二次的な研究データ、という風に分けて 考えると色々話を進めやすくなるのではないかと思っております。 最近、社会調査データの話にお付き合いすることがあるのですが、 この社会調査データは、人文学における研究データとしてはどの 部分にあたるのだろうか…とあれこれ検討するなかで出てきたのが この分け方です。現在、国文学研究資料館を中心に、全国で古典籍の デジタル撮影が大がかりに進められていますが、これを研究に活かそうと するなら、社会調査データのようなレベルでの機械可読性とはかなり 縁遠い状況です。一方、たとえば国立国語研究所が公開している 日本誤の歴史コーパスのように、資料からデジタル翻刻をした上で、さらに 一定の観点から詳細な注記(この場合は各単語に対する品詞情報など)が行なわれていると、 社会調査データのように機械可読性が高いものであると言えるのではないかと 思います。これらを仮に「一次研究データ」、「二次研究データ」として 区別するとしたら、現在国文学研究資料館を中心に大規模に推進され蓄積されている データの多くはあくまでも一次研究データであり、人文学における二次研究データは まだあまり蓄積されていない、という風にみることができそうです。 では社会調査データが用いられる世界における「一次研究データ」とは 何か、ということも考えてみたいところですが、ちょっと(かなり)長くなりそうです ので、それはまた別の機会に述べることにしたいと思います。

さて、提言に戻りますと、次は学術情報出版におけるデータの扱いが説明されます。 ここではデータポリシーの制定が重要であり、 最近は日本からも投稿が増えているオープンアクセスジャーナルでは、 論文の根拠となるデータのオープンな公開を求めるポリシーを採用している とのことです。ただ、必ずしもジャーナル運営側がデータを引き受けるとは 限らず、FAIR原則に従うデータリポジトリに掲載することを求めることもあるようです。 すでにいくつか著名なデータリポジトリも存在するようですが、我が国にはまだ そういうサイトは存在しないようです。

このような場合、人文学では、上述の二分類のうちの「一次研究データ」に ついては、いわゆるデジタルアーカイブとして公開されているものが 多いと思いますが、データ公開機関側ですでに公開されているため、その参照URL等を 書いておけばよいということになりそうですが、FAIR原則に準拠している ようなものがどれくらいあるか、自分が扱うデータがそれに準拠しているかどうか、 というのは確認・検討してみる必要がありそうです。それが再利用・再配布可能な 条件で公開されている場合には、むしろ論文と一緒に提出した方が、論文投稿後 のデータ消失といった憂き目にはあわずにすむかもしれません。 あるいはまた、上述の二分類のうちの「二次研究データ」の方は、 またちょっと状況が変わってきそうですが、最近はGitHubを用いる例が見られるようになって きています。たとえば、日本の古辞書を研究しているグループでは、 古辞書を翻刻し、一定の方針を立ててデータベース化した上でGithub上に公開しつつ、これを元に 着々と研究発表を行なってきています。海外に目を向けてみると、たとえば ドイツでは人文学のためのタグ付きコーパス(主にTEI準拠) を共有する仕組みとしてTextGridが提供されて シボレス認証にも対応していたりして、なかなか重厚な感じです。 欧州全体としては、CLARINというプロジェクトで、タグ付きコーパスを集約しているようです。 CLARINは、欧州の研究インフラ事業ERICの一環として運用されているもののようで、 デジタル研究インフラのなかに人文学の「二次研究データ」がしっかりと位置づけられているようですね。 我が国もそろそろこういったところを目指さねばならないだろうと思ってきているところです。

さて、また提言の方に戻りますと、我が国の学術情報流通もこのような方向に沿っていくべきであり、 そうでなければ大きなリスクを抱えていく可能性があることが指摘されます。しかし、それを 実現するのは国内の小さな学会では難しいので、共同利用できるリポジトリを核とするサービスの 構築を日本でも行なうべきであるとしています。この点は、NIIの方で何かやっているとか やろうとしているとか聞いたことがあるような気もしますが、提言の先の方にそういう話が 出てくるのかもしれませんね…。人文学だと、人文学オープンデータ共同利用センター(CODH) があって、今のところ独自作成のデータの公開が主であるように見えますが、今後、「二次研究データ」の データリポジトリの方向も持っていくような感じになっていただけるとありがたいと個人的には思っております。

また提言に戻りますと、研究助成団体による「オープン化縛り」が強くなるのにあわせて、 今後はオープン化しているかどうかが差別化の一つの重要な基準になっていくであろうことが 強調されます。それを解決するためには、新しい法人組織が必要であることが改めて提起されます。 そして、博士人材にこれを手がけさせることできちんとした専門家を育成していくべきであると指摘して、 この項を締めくくります。ここで興味深いのは、「理工学分野の博士の学位を有するとともにデータ管理の 専門的な知識を有する専門家が必要であり…」というところです。当たり前と言われればその通りですが、 研究データ管理にあたっては、研究データ管理そのものについての知識だけでなく、 特定分野の知識が博士レベルで必要であるとしている点です。つまり、もし人文系のデータも 蓄積していくということになれば、やはり人文系の博士号を持つ人材が必要になるということです。 人文系と言っても内容は非常に幅広いので、一人ですべてカバーするのは難しく、一人が数分野を 担当する感じで少なくとも数人は必要になるはずです。そこで博士人材が活かされることがあれば ありがたいと思います。

ということで、今夜もそろそろ限界ですのでここまでとしたいと思います。1頁しか進みませんでしたが、 内容が内容だけに、ブログの方はちょっと長くなってしまいました…。

日本学術会議の提言を読んでみる:学術情報流通の現在と未来 5/n

前回記事の続きです。もう5回目になってしまいましたがまだ半分終わってないような感じで、 長い道のりですね。

前回は「今後10年間に起こるジャーナル出版の大変革」という節を見てきて、今後10年間の見通しに ついて押さえてきました。その次の節ということになります。PDFは14頁目(表記では8頁)ですね。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-6.pdf#page=14

(3)日本発のジャーナルの国際競争力向上のための戦略

② 日本発のトップジャーナル刊行を核とする英語論文誌の国際競争力向上

ここでは、日本発の国際的なトップジャーナルを出すことについての現状と課題が 述べられます。多くの日本の学協会が海外のジャーナル会社から出版して しまうため日本での学術出版サービスが絶滅してしまうのではないかという 危惧を示した上で、むしろ日本発のトップジャーナル発行により日本にジャーナル刊行の知識・経験を蓄積し 専門家を育成できるとしています。これにあたり、新たにジャーナル出版サービス法人組織を 設立すべきとしています。これがうまくいけば、この種の業務に関わる様々な分野の 専門家を育成できる上に博士人材の新たな活躍の場も創出できるとのことです。 筆者はこのあたりのことについてはあまりよくわからないのですが、世界中の大学図書館と 個別に契約を結ばなければ購読料金を集金できないという状況に比べると、今後National Site License で済む国が増えるのであれば、契約交渉にかかる手間はかなり減らせるようになってきている のではないかと思います。また、オープンアクセスでAPCが収入の主体になっていく のであれば、むしろ投稿者とのやりとりがメインになっていくことになり、 集金の仕方も楽になるのではないかという気もします。投稿費用に必要な予算を 持っている研究者が投稿したいと言ってくるところに料金表を提示するという 仕事は、世界中の大学図書館に購入希望を募ってタフなネゴシエーションに 付き合わされながら弱小出版社だからと値踏みされるのに比べたらずいぶん楽では ないかと思います。ただ、ジャーナル出版事業は、エルゼビア社が「もう商売にならない赤字事業だ」 と言っているようなものですので、超大手がそういう風に言っているということは実質的なダンピングを 仕掛けてくるような形になる(と言ってもそういう大手が日本の新法人を意識してそうするという わけではなく顧客との交渉で値下げしていった結果そうなるという意味で) 可能性もあり、収益化を目指してしまうと赤字が問題にされて にっちもさっちもいかなくなるのではないかということも微妙に心配です。 IFの高い国際ジャーナルを日本から出せるなら、学協会がジャーナルを出すことに ついての当事者意識を保つことをはじめとして様々な好影響が期待できますので それはそれで良いことだとは 思うのですが、そのためのコストをどれくらい許容するかということも考えるとなかなか 難しそうです。

この節は次の節の話とかなり深く関わるような気がしますので、このまま次に いきたいと思います。

③ 和文誌の多言語同時出版による国際的認知度向上

まず、日本誤ジャーナルの意義と現状、その課題について簡潔にまとめています。 技術者教育を担う重要な学術情報発信手段という位置づけではあるものの、 ほとんどはIFがないために業績として評価されにくく投稿数が減少しているとのことです。 また、翻訳されて学術情報として国際的に流通しているものもあるが、 それが正しく引用されないという問題もあるようです。 JaLC DOIが和文ジャーナルでは広く普及していますが、これが 国際的な学術出版社が引用情報作成で利用しないために被引用情報が 参照されないのだそうです。これを解決するには、1本1ドルの Crossref DOIを付与する必要があるそうです。

また、論文がPDFでしか 配布されず、XML化ができてないことも問題のようです。これは論文本文の XML化のことではないかと思います。たしかに、 この学術会議の提言もPDFでしか配布されていないので、もうちょっと なんとかなればなあと思うところではあります。とはいえ、書誌情報のXML化に 比べると色々ハードルが高く、もう少し時間がかかってしまうのではないかと 思います。 たとえばScholarOneのような論文査読システムではXMLを自動生成 する機能を持っているのでこれを活用すればよいのだそうですが、 しかしScholarOneのようなものは利用料金が高いのでこれもなかなか難しいところのようです。 あるいは、そもそもMS-WordはXML形式なのですから、そこから自動的に 論文用XMLスキーマに自動的にコンバートしてくれる仕組みをどこかで 無料で配布してくれれば問題はずいぶん解決するのかもしれません。 (すでにあるかもしれませんが)

さて、次の段落では、日本語ジャーナルの被引用インデックスを充実させるべきであると いう話が出ます。元々、NIIが引用文献データ作成事業を行なっていて、それを JSTが引き継いだのだそうですが、2016年度以降の同定処理が完了していない、 というやや衝撃的な話が書かれています。予算等の問題から、と書いてあります ので予算が足りないということなのだろうと思いますが、NII時代はいくら使っていて、 移行後はそれがどれくらい減ったのか、それとも拡張しようとしてお金が足りなくなったのか、 非常に気になるところです。どこかにそういう情報は公開されているのかもしれませんが、 不勉強でなかなかたどり着けません。いずれにしても、日本誤ジャーナルの価値の 低下を少しでもやわらげるためには、信頼清野ある被引用インデックスの作成は 必須でしょう。ここは、日本語の学術情報を守るためにかなりお金をかけてもよい ところではないかとは思います。皆が英語がすらすら読めるようになれば あまり気にしなくてもよくなるのかもしれませんが、技術情報は、技術者だけでなく 経営判断をする人達にもある程度周知される必要があります。また、一部のいわゆる 高偏差値層はどういうカリキュラムでも一定の能力を獲得してしまいますが、 昨今の英語教育はリーディングの比重を下げてきているため、読める人は 全体としては減っていく可能性があり、そういう意味でも日本語学術情報は むしろ重要性が高まっていくのではないかと思われます。

人文学の観点からは、日本語の学術情報はまた別の観点からも非常に重要です。自分の国の 社会や文化がどうなっているか、自分の国の言葉で語れるような基礎を形成しておく ことは重要なことですし、日本語をメインの公用語としているのは日本政府だけですので、 それについては日本政府が責任を持つようにしないことにはどうにもなりません。 法律、歴史、文学、言語、哲学、民俗、社会等々、日本語できちんと 語れるようにしておかねばならないことは非常に多くかつ多様であり、 とにかく、フルセットの言説空間を日本語で用意する必要があります。 実際にはフルセットであると思えるような、あるいは、フルセットにすることを 志向していると思えるような状況を維持していくことが重要なのだと思っています。 この段落の提言に引きつけるなら、そのために人文系の日本語論文被引用インデックスの作成が 一定の有用性を持つのであれば、なんらかの形で取り組んでみてもよいのでは ないかとも思っています。ざっと見た限りでは、被英語圏のジャーナルを対象として試行したプロジェクト としては「紀要を見直す―被引用分析を通じた紀要の重要性の実証と紀要発展のための具体的提言」 というのがあるようです。他にもご存じの方がおられましたらぜひご教示ください。

さて、また提言の方に戻りましょう。次の段落では、急に具体的な話になります。 AI翻訳を使って多言語学術情報発信をしてしまえばよいのではないか、ということで、 これは技術的にはすぐにできそうですし、費用もそんなにかからなさそうですので、 なるべくはやくに事業化してしまってもよいのではないかという気がします。

この節の最後には、やはりAi技術を用いることでジャーナル編集における 様々な局面を支援してもらえるのではないか、という期待と、それを 前節で述べられた新しい支援法人組織が利用すれば効率化が可能である ということが述べられます。今のディープラーニング技術は基本的に コンピュータが出した雑な結果を人間が適宜解釈する形で受容されており、 精度次第ではあまり助けにならないこととか、精度を高めるためには 一定の事項についてのまとまった量のデータが必要であることなど、 現業に関してどれくらい期待できるのかはやや未知数な面もあり、 また、次の技術パラダイムが出てきたときにどう対応するのかも 考えておかないと新しいガラパゴスを作ってしまうことになるかも しれないので、と、気になる事項を色々挙げればきりがありませんので、 予算がつくことがあれば、とりあえず、えいやっとやってしまうのが よいのではないかと思います。

ということで、第二章の「(3)日本発のジャーナルの国際競争力向上のための戦略」は ようやく終了して、次も(3)ですが、「(3)オープンデータ/オープンサイエンス」に 入ります…というところで、今夜は力尽きました。また次回に続きということで、 よろしくお願いいたします。

日本学術会議の提言を読んでみる:学術情報流通の現在と未来 4/n

前回記事の続きです。今回は、PDFの12ページ目(6頁となっていますが)からですね。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-6.pdf#page=12

第二章第三節「(3)日本発のジャーナルの国際競争力向上のための戦略」 は、さらに3つの項目に分けられているようです。まず最初の項目をみてみましょう。

(3)日本発のジャーナルの国際競争力向上のための戦略

① 今後10年間に起こるジャーナル出版の大変革

ジャーナル発行に関わるこれから10年の潮流として挙げられているのは、 オープンアクセス(OA)化だけでなく、オープンデータ(OD)・オープンサイエンス(OS) 化を背景とするデータ出版の拡大、です。特に公的資金を用いた研究成果に関して、「その利益(成果)を市民が享受し、自由 に利用する権利が担保されるべきである」という原則が重視される傾向が強まるようです。 世界的な潮流としては、この方向が強まるような雰囲気は筆者も強く感じるところです。 先進国における公的資金の説明責任という観点はもちろんですが、途上国において 学術研究を適切に広め、多様な知のコミュニケーションを涵養していくためには、 オープンアクセス・オープンデータを基礎とするオープンサイエンスの普及がない ことにはにっちもさっちもいかない、という話を当事者の方々からうかがうことが 時々あります。ただ、日本の場合、「受益者負担」という考え方が割と根強く、 その点をどう乗り越えるかが大きな課題になりそうです。国立公文書館の 資料デジタル化提供の時でさえそういう話がでていたほどですが、 「自分に関係ないことに税金を使わないでほしい」「そこから何らかの 利益を少しでも得られるなら税金を使わないでほしい」という志向は 日本では割と強いような感じがしております。もちろん、一方で、 色々な産業政策に税金がどんどん投入されていますので、さじ加減の 問題なのだろうとは思いますが…

ちょっと脱線気味ですが、次の段落にいきましょう。理工系では Clarivate Analytics社の提供するJCR(Journal Citation Report)に掲載されるインパクトファクター(IF) が競争的環境の普及のなかで重視されるようになり、IFの値の高いジャーナルに 論文を投稿する動機になっているとのことです。これは比較的よく知られた 話ではないかと思います。人文系だとArts & Humanities Citation Indexというのものは ありますが、インパクトファクターは計算されて ないようで。ただ、エルゼビア社のSCOPUSを用いてインパクトファクターのようなものを 計算するサービスが提供されているようで、Scimago Journal & Country Rank などがそれにあたるようです。

次の段落は、ジャーナルのインパクトファクターが高騰していく様を 時系列で「牧歌的時代」「大宣伝時代」とした上で、現在は 「オープン化」の流れになりつつある、という風に理解すればよいでしょうか? この流れの詳細がこの後に説明されるようです。

「大宣伝時代」に入ると、それまでは論文発表の前の議論の場となってきた国際会議が、発表論文後にそれを 宣伝する場になってきたのだそうです。その流れで、SNSでの情報流通も研究成果のインパクト としてカウントされるようになってきたようです。

IFが重視される背景についても端的に述べていますが、これは、IFが簡便であるとともに、 これまでの業績評価に関する知識や経験の蓄積があまりなく、評価に関わる専門家も 少ないためにやむを得ずこれに頼っているようなニュアンスで説明されています。 これは非常に冷静で視野の広い見解だと思います。確かに、研究評価に関わる 専門家はごく少なく、専門家のピアレビューの集積を半ば自動的にカウントする 指標としてのIFは、対象となるジャーナルがきちんと収録されている分野においては 比較的便利だろうと思います。とはいえ、 IF偏重の弊害は最近も少し話題になりましたし、やはりなんとか解消して いただきたいことの一つではありますが、一方、予算の大枠を増やすことは 難しく、評価に関わる専門家を育成・配置すると その分研究者のポストを減らさねばならないことになってしまいがちですので、 どこをどうすればなんとかなるのか、多角的な検討の必要があるだろうと思います。

次の段落では、電子ジャーナル会社の雄、Elsevier社が、データ出版こそが今後の 収益の基盤でありジャーナル出版事業は赤字になっていくと予測していると 紹介されます。実験データの追跡可能性を担保するために 提出が求められるようになっており、適切なデータ管理の重要性が 注目されるようになってきているとのことで、これがデータ出版の動機付けと 内実ということなのでしょうか。 しかし、オープンデータ・オープンサイエンス化の潮流にのった データ出版が高収益事業の中心になる、ということなのですが、 重要性やその潮流については近いところにいるのでなんとなくわなるのですが、 そこからどういう風にマネタイズするのか、についてはちょっと想像がつかないので、 これから少しずつ勉強してみたいと思います。

このオープンアクセス化の波が学術情報流通の量的質的な拡大を もたらし、arXivのようなピアレビューを経ない論文の 大量流通へとつながっている、とのことです。arXivはご存じの方も多いと 思いますが、「アーカイヴ」と発音するのだそうで、 現在はコーネル大学図書館が運営するプレプリントサービスのようなもので、 「physics, mathematics, computer science, quantitative biology, quantitative finance, statistics, electrical engineering and systems science, and economics」分野の 1,776,352件(数字は今みたものです)の論文を掲載しているようです。新型コロナウイルス感染症に関する 論文も多数掲載されているようですが、いずれも査読を経ていないので扱いには注意が必要です。 また、これに触発されて生物学でもBioRxivというのがができているようです。 今回の提言では、これらのサービスの今後の評価についてはやや慎重な姿勢を示しています。 さらに、情報系分野でのソフトウェアのコードや開発したアプリの公開や、 その普及度や重要性をユーザが判断するような仕組みが提供されるという流れもでてきているとのことですが、 これはフリーソフトウェア運動やオープンソース運動などとの関連も気になるところです。

最後に、ハゲタカジャーナルへの注意喚起と、無査読論文の扱いに際しての課題を指摘し、 大学等の高等教育機関における現状の科学者倫理教育を高度化すべきと提起した上で、 この項目は締めくくられます。ここでの「倫理」は 法律やルールを守ることから、新しい発見の可能性の芽をむやみにつぶさないようにすること まで、かなり幅の広い言葉になりそうです。去年まで情報処理学会の論文誌編集委員をしていて、 会議のたびによく言われたのが「石は拾っても玉を捨てるな」ということで、 貴重な原石はどこに眠っているかわかりませんので、 基準に満たないからと簡単に切って捨てないような配慮をしなければ、という観点からの ギリギリの議論がよく行なわれていました。どこでもそういう議論はあろうかと 思いますが、それぞれに大変な、そういう一つ一つの小さな積み重ねが、 後に続く人たちを肩の上に乗せることのできる巨人を作り、さらに先を 見渡してもらえるようになるのだろうと 思うと、学術の未来のために大切にしなければならない現場なのだと思います。 大変ですが、がんばっていかねばと思います。

また2頁ほどしか進みませんでしたが、今夜はこれくらいにしておきます。

日本学術会議の提言を読んでみる:学術情報流通の現在と未来 3/n

本日も前回の記事の続きです。

今回は10ページ目の真ん中当たりからですね。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-6.pdf#page=9

(2)一括契約による学術情報ジャーナル購読問題の解決

これこそ、日本語の学術情報と少し縁遠いところの例の問題です。冒頭、

学術情報の流通は、ジャーナル購読と無償論文の発行という形で行われるのが、商業学術出版産業がこれまで創り上げてきた購読型学術情報流通モデルである。

とありますが、「無償論文の発行」というのが何を指しているのか、ちょっとうまく意味がとれません。が、とりあえず ジャーナル購読はわかります。我が国全体で、各商業ジャーナル出版社にあわせて約300億円(!)支払っているそうです。 いわゆるビッグディール戦略のためにそうなってしまっているとのことです。すでに国内研究機関でも 電子ジャーナルを購読できなくなっているところが増えているようです。一方で、オープンアクセス(OA) も広がってきているようですが、オープンアクセス対応だと論文掲載料が高額で(10-30万円くらい)、これが研究費を圧迫するように なってきてしまっているとのことです。主要な研究大学の論文掲載料総額は数十億円になるとも言われているそうです。 元々、理工系だと論文掲載料はオープンアクセスになる前から支払っていた(ところが結構あった?)はずなので、 それがオープンアクセス対応になってどれくらい増額になったのかというあたりも気になるところです。

欧州では「従来の購読費にAPC経費も組み込んだオフセット契約と国単位の一括契約モデルへの移行」が 進んでいるとのことで、我が国も新しいシステムを構築する必要があるということで、 「これまでほとんど関与して来なかった科学者や学術コミュニティも、それぞれの立場から」関わるべき としていますが、欧州の場合、学者や学術コミュニティがどのような関わり方をしているのか、という のも気になるところです。とはいえ、自分たちが出している雑誌がメジャーな商業電子ジャーナル会社を 使っているのかそうでないか、というのは、それだけでも関与するインセンティブには大きく 影響しそうです。私もそれほどメジャーではありませんがオックスフォード大学出版局から 雑誌を出している学術コミュニティの運営に携わっていますが、会計を握られることにはなりますが、 会員管理をやってもらえて世界中の大学図書館から購読料を徴収してくれる、といったあたりは 学会を運営する上ではなかなか効率がよいことでもあり、これを切り離してオープンアクセスにして 独力でやるべきかどうか、というのは時々議論になります。要は、学会運営の話がそのまま 商業電子ジャーナル会社のジャーナルをどうするかという話になりますので、この件が学会運営上の 主要なテーマの一つにならざるを得ません。一方、特に日本の人文系の場合、そういう世界とは まったく離れたところで独自に雑誌刊行をしてきていて、現在も多くはそういう感じでしょうから、 大がかりな新しいシステムの構築に関わるということになるとモチベーションを高めるのは なかなか大変、ということになりそうです。それでも、志の高い人が数人でも集まっているような 学協会ならなんとかなるかもしれませんが。

さて、次の段落に行きましょう。 電子ジャーナル会社としても、ずっと今のモデルでいけると思っているわけではなくて、

電子ジャーナル購読契約は、国単位の一括契約とオフセット契約によるAPC定額制へと大きく変わり始めた。ドイツのマックスプランク財団(MPI)がこの突破口を開いた裏には…

とのことで、10年以上の時間をかけた交渉の成果とは言え、収益構造の変化の見通しが電子ジャーナル会社の態度を変えさせたという面もあるだろうと分析しています。 背景として、カリフォルニア大学やMTIとの交渉が決裂したり、といったことも挙げられています。 そして、欧州主要国ではジャーナルの購読のNational Site License(国単位の一括契約)が広がりつつあるそうで、国単位での一括契約により 教育研究機関の研究者すべてが自由に閲覧できるようになるとのことです。これは大変にうらやましいことですね。我が国もそういう 風になってくれるとありがたいところです。この提言でも「現時点で最も合理的で実現すべき解決策である」としています。 とはいえ、ここでも、この費用の中に、日本語の学術情報を支える要素はあまり含まれていないようにも思われます。 ドイツやフランスなど、非英語圏の比較的学術が進んでいる国がこのあたりをどういう案配にしているのか、この話を進める 時にはきちんと押さえておいていただきたいところです。(私も知りたいところです)。 欧州の一括契約をしている国では「概算では我が国に比べて1報当たり1/4程度のAPC(論文掲載料)経費」で論文を出せているそうですので、 そこまでいけると大変ありがたいことです。

もちろん、上述のように、300億円支払っていたものを一括契約にするというのですから、交渉で半額にできたとしても 150億円、これは各大学研究機関がそれぞれ支払っていたわけですから、それを各機関から集めるか、あるいは、なにがしかの これまでの予算を集めて流用するといったことをする必要があるでしょう。ここでは、契約・予算管理法人を新たに設立する必要があり、 そこにJUSTICEの参画をはじめこれまでの蓄積なども反映させるべきだとします。

次に、

このAPC定額制を含む一括契約を我が国で実現するためには、幾つかの克服すべき課題が存在する。

ということで、個別の課題の検討に入っていきます。 まずは、各機関の足並みをどうやってそろえるか、という話です。商業電子ジャーナル会社に関する ニーズは機関によって結構異なりますし、いきなりみんなで始めるということになると足並みをそろえる のも大変です。そこで、とりあえずはRU11や研究開発法人から始めるということが提起されます。 たしかに、このあたりであれば、電子ジャーナル会社に関するニーズは割と近いところが多いようにも思われます。 そこから順次広げていくとのことで、これは比較的妥当というか、他に方法があるとしたら国立国会図書館に すべておまかせ、くらいのことしか思いつきません。(それもかなり無茶な話かと思います)。 また、第二の問題として、交渉に継続的にあたることのできる専門家を配置することの必要性を 挙げます。たしかに、通常の公務員的な立場だと3年おきに人事異動で人が代わってしまって、 そのたびに一から勉強、一から人脈を作り直し、ということになると、なかなか厳しいものがありそうです。 これもなんとかなるとありがたいところです。 そして3つ目として挙げるのは財源です。ここでは、すでに研究者が直接の研究経費からAPCを 払っているのだから、その費用をうまくまわすことが望ましいということが述べられます。 できれば間接経費から徴収して…という雰囲気ですが、間接経費を3割から4割にして、代りに 2割分をこの法人に、という感じにするあたりが妥当でしょうか。間接経費は機関で一括して 処理できますので、一つの現実的なアイデアだろうかと思います。 ただ、上の方では、購読費用が300億に対してAPCは数十億、という話でしたので、これだけだと さすがに少し桁が違う感じです。そこで「一括契約が拡がった時点で、図書購読費相当額を一括してこの法人組織に交付することが望ましい」 ということになります。実際のところ、すでに300億円と言われる額をそれぞれの大学図書館が支払っている わけですから、それを一箇所にまとめることができれば、説得力のある交渉はできそうな感じがします。 ただ、これが実現すれば、大学図書館に回る費用の見た目はかなり減ることになりそうです。 それがどういう状況をもたらすかというのはちょっと見えませんが、学術情報の取得提供が 外部法人と電子ジャーナル会社の間で行なわれることになるのであれば、大学図書館の方は、 ラーニングコモンズ・リサーチコモンズ的な位置づけをより強めていくことになるのかもしれません。 この節の締めくくりは、経済合理性の高い契約を結ぶことによる充実した学術情報環境の効率的な 実現、ということになっています。この視点からの「経済合理性」は、目の前の研究課題に没頭する研究者には なかなか実感しにくいものかもしれません。あまり時間を費やすことなく、しかし「なんかちょっと 自分の研究がやりやすくなった」と思わせるような仕組みでないと、広く受容されるのは難しい のではないかと思います。その意味では、この件に限っていえば、費用負担を増やすことなく オープンアクセス出版ができるようになる、そして、オープンアクセス出版をしたことが 評価の対象になる、というあたりが妥当なのではないかという気が しますので、上記のように間接経費を増やすのではなく、むしろすでに持って行かれている3割の 間接経費の中から新法人の費用徴収が行なわれる、といったあたりが可能であるとありがたい ことだと思います。また、関係者の方々は当然考えておられると思いますが、科研費の 成果公開助成に関わる部分は新法人にかなりつぎ込むことになるのではないかとも 思います。ただ、そこではやはり、日本誤の学術情報流通への投資が急に激減するという ようなことがないような配慮もしていただきたいところです。

 なお、ここの節では「データ出版」という言葉も見え隠れします。ただ、まだあまり明確な象を 描いていないので、それはこの後にきちんと登場するのだろうと思います。

ということで、亀の歩みですが、今夜はこのあたりにしておきたいと思います。

日本学術会議の提言を読んでみる:学術情報流通の現在と未来 2/n

さて、前回の記事の続きです。

PDFを途中から開きたい場合は、PDFのURL末尾に「#page=9」という風につけると 9ページ目が開く、という感じなのですが、これはみなさんご存じでしょうね。(もし初耳という場合は 今後ご活用ください)。

というわけで、9頁目、第二章から始めましょう。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-6.pdf#page=9

2学術情報環境の現状と課題、展望

いきなり冒頭の段落から強烈な自省が示されます。

旧態依然とした縦割り制度によって関連組織間の連携が成功しなかったために、それぞれの関係機関で の最適解の追求に終始することになり、学術情報システム全体の最適化に失敗した

「旧態依然とした」という表現でまとめてしまってよいのかどうか検討が必要だと 思うのですが、いずれにしても、変えなければ学術情報流通の専門家だけでは議論が なんともならない状況に追い込まれているにも 関わらず変えることができていない、という風に受け止めておきます。

個人的には、関係機関の最適解の追及が結果として全体に一定の効果をもたらすような 枠組みを用意できればとも思うのですが、それはみなさんわかっておられることで、 おそらくは予算的にも人員的にもそれができなかったということなのでしょう。

結果として現在に残された不完全なシステムの機能不全による障害が顕在化している

という認識が日本学術会議の分科会から出てきているということは、自省する 力を持った組織であるという捉え方もできるかと思います。

次の段落では、DX、AI、OA,、OD、 OS、といった、この種の話に良く出てくるキーワード で今後の展開がまとめられますが、「ピアレビューによる評価を経ない学術情報が溢れ、インター ネット市場が価値を決める新しい学術情報発信・流通システムが拡大する」なかで、 我が国がさらに周回遅れになることについての懸念が表明されています。実際のところ、 SNSで流れる大量の謎情報への対応は我が国ならずとも対応に苦慮しているところだと 思いますが、そこで、一定の評価を得た日本語の情報を適宜投入できないような 状況になってしまうと、学術のみならず、日本社会そのものがますますまずいことになるように思います。 そのあたりで、国債ジャーナルに論文を載せることだけでなく、日本語で様々な ステイクホルダーへの発信をすることも評価していく必要があるのではないかと 思うところです。

「時代遅れとなった古い組織やシステムを速 やかに再構成し、学術情報流通の大変革時代に相応しい新しい学術情報環境を再構築して 国際競争力を強化する必要がある。」

としておられるのが、どれくらいドラスティックな再構成を構想しているのか、この先で 示されることでしょう。

さて、次に、この章は、以下の項目に分けられます。が、どうも(3)が2回出てきているような 気がします。目次の方もそうなっているようです。

(1)学術情報環境の動向と関連する提言の総括 (2)一括契約による学術情報ジャーナル購読問題の解決 (3)日本発のジャーナルの国際競争力向上のための戦略 (3)オープンデータ/オープンサイエンス (4)学協会の機能強化に向けて

ここまで書いてみて、すでに気になっているのが、Web上での提言の参照しにくさです。学術情報の未来を論じる 文章がPDFの頁単位でしか参照できないというのは、なんとももったいないことです。学術振興会のWebサイト 全体のことなので、これだけどうこうするというわけにもいかないのでしょうが、他の提言等も、もっと 参照しやすい形にしてもよいのではないかと思ってしまいます。段落単位での参照くらいは できてもよいのではないだろうかとは思いますし、広く社会に発信すべきと考えて提言を作っているなら、 引用もしやすい形にしておくのがよいのではないかと思います。この提言自体がそういう志向を 持っているようにも思われますので、たとえば実験的にこの提言をそのようにしてみるといった こともあり得るのではないかとも思います。権利関係がどうなっているか等、難しいこともある のかもしれませんが…

というわけで、次は、第二章の(1)、

(1)学術情報環境の動向と関連する提言の総括

です。これまでの学術情報流通の状況について、厳しい評価がならびます。 「構成員のセクト主義や厚い壁の存在」「機能再生や再構築を進める仕組みが組込まれていない」 ということで、「学術情報を支える組織やその機能はこれからの大変革時代に対応できない。」 とされています。セクト主義や厚い壁の存在というのが具体的に何を指しているのかは、 この後で明らかにされるのかもしれませんが、壁を越えるためにはそれなりのコストや犠牲が 必要で、それを引き受けられるところ/人があまり多くなかったということなのだろうと思います。 個別の分野での対応については、前回の記事に述べたような色々な提言があり、なかには それなりに実現できたところもあるのではないかと思いますが、この提言はもう少しスコープが 大きいので、その観点からすると(全然)足りなかったということでしょう。

 そして、学術会議としては、すでに2010年には「包括的学術誌コンソーシアム」の設置を通じて アクセスと発信それぞれに対応したり専門家を雇用して対応したりすることを提案した ことを挙げています。組織を作ったり人を新たに雇用したりするというのは要望は できてもこのスクラップ&ビルド時代ではなかなか難しいところでもあり、大学図書館も どんどん人員を減らしているなかでは新規雇用は難しかったのかもしれないとは思います。 比較的身近な例だと、国立デジタルアーカイブセンターを作りたいという話を聞くことが ありますが、これもやはり、組織を作ったり雇用を発生させたりとなるとなかなか難しそうではあります。 とはいえ、URA(University Research Administrator)など、新たな職種が徐々に広がりつつあることもあり、そういった流れを 学術情報流通では作れなかった、ということは言えるのかもしれません。そのあたりの 大きな判断の流れについては、私のところからは全然見えません。見えてもどうなるもの でもないので、結果を受け止めるしかないのですが…。

 雑談めいた話が続いてしまって恐縮ですが、基本的に筆者が主観で 読んでいるだけなので、今後も雑談まみれになっていくことをご容赦ください。

 というわけで続けますと、次に「に大学図書館コンソー シアム連合(JUSTICE)」の設置の話が出てきます。JUSTICEは、学術データベースの 値下げ交渉でいくつか成果を上げているようで、人文系でもその恩恵を蒙っており、 たとえば、近藤和彦「ECCOからみえるディジタル資料の宇宙」『歴史学研究』2020.9 にて 感謝とともに記されています。ただ、何にどれくらい成功しているのかが外からは少し見えにくい のがちょっと残念なところです。

 この次に出てくるのは学術雑誌の刊行について科研費に大きく依存していた という件ですが、これは全体の割合からするとそんなに大きくないのではないか、 という気がします。私の関係する学会でも少し前までこの助成を受けていたところが ありましたが、一方で、科研費の支出ルールは論文雑誌出版のペースと相性が悪い ということで科研費に頼らない雑誌刊行を心がけているところも結構ありました。 その後、「出版事業支援」から「国際発信力強化」に名目が変わったとのことで、 実際に、要求される内容が結構変わったことを記憶しています。JSTがジャーナル 無料電子化事業を実施したのはこれよりも少し前くらいだったでしょうか? NIIでもNII-ELSという学術雑誌電子化支援事業に取り組んでいました。 提言に戻ると、「しかしながら、補助金を受けた学協会の 多くは海外の出版社に業務委託するという出版モデルから脱することがなかった」との ことで、理工系の大勢はそうだったのでしょうね。ここでは国内の 学術出版関連の人材育成にも結びつけたかったのにうまくいかなかった、 ということが述べられています。部分的には、たとえば学術情報XML推進協議会 が作られて技術の共有などをすすめてくれているおかげで、 学術雑誌を記述するための国際標準的な 規格であるJATSに準拠したXMLデータを作ってJ-Stageに アップロードする作業に対応できる印刷会社は結構増えてきていて、 つまりそういう人材が育成されてきているということで、また、 値段も下がってきているように思います。 とはいえ、「…の壁は厚く、国内の機関や学会が 一丸となって取り組むことができなかった。」 とあるように、個々の学会の動きはやはりそんなに軽快ではなく、 というより、一部の人達が大幅に仕事のやり方を変えなければならず 多くの人がそれにあわせて多かれ少なかれ対応しなければならない という状況は、なかなかハードルが高かったのだろうと思われます。 海外勢がどんどんデジタル化を進めていくなかで、我が国の研究者も 海外志向が強まっていたこともあり、結局国内学協会の学術雑誌は 海外の競争から取り残されてしまった、とあります。これに関しては、 国内学協会がそれに取り組むインセンティブが弱かったということに 尽きるだろうかと思います。主体はいずれも研究者ですが、海外ジャーナル での論文掲載が業績として高く評価されるという状況で国内雑誌に 力を入れるのはどうしても二次的にならざるを得ない、というのが 特に理工系では大きいでしょう。人文系の方は、少数の研究者が 手弁当で編集をするところから、商業出版社が刊行を引き受けて 書店にも並べてくれるところまで、非常に多様で、商業出版社は デジタルへの抵抗感が強いところが多く、少数の手弁当雑誌は 担当者の努力次第でデジタル公開される場合もある、というような、 個々に様々な状況があります。最近は、J-Stageが無料論文公開の ハードルをかなり下げてくれたおかげで、かなり楽に論文公開が できるようになっています。研究者でも、Webで成績入力できる くらいのITリテラシーがあれば、J-Stageで無料で論文雑誌公開が できます。そのくらいのことになっていますので、たとえば 日本歴史学協会が出している 「公開要望書 国立国会図書館デジタルコレクションの公開範囲拡大による知識情報基盤の充実を求めます」 や 「国立国会図書館デジタルコレクションによる学会誌のインターネット公開についてのご案内」 といったあたりの話も、前者で「学会・協会が独自に学会誌のデジタル化をすすめるのは費用がかさみ、対応できないという現実」と 書かれていますが、個々の研究者がワードで書いた文書をPDFにして出してもらって、それをJ-Stageにアップロードする、という 方法が、大規模な雑誌だと外注せざるを得なくて外注すると確かにお金がかかりますが、小規模なら頑張れば手弁当でも可能なので、 その方向も真剣に検討してみていただいてもよいのではないかと思ったところでした。

日本語の雑誌は、日本だけからアクセスできればよいというものではなく、海外の日本研究者 から期待される面も大きいので、デジタル化を進めるのは日本語論文雑誌においても、というより、 むしろ、日本語でも学術が行なわれているということを世界に見えるようにしておくために 必要です。そのあたりのことは、たとえば、少し前の本ですが 江上敏哲『本棚の中のニッポン 海外の日本図書館と日本研究』(オープンアクセスなのでリンク先で読めます)などを読んでいただくと 状況がわかるのではないかと思います。筆者も以前にそういうことをテーマにしたブログ記事を書いたことがありました。

digitalnagasaki.hatenablog.com

この方面の話は、いつまでも続いてしまうので、今夜はこのあたりにしておきたいと思います。「提言」はまだまだ長いので、引き続きお付き合いいただけますと幸いです。