デジタルアーカイブ学会賞授賞を機に『日本の文化をデジタル世界に伝える』を改めてご紹介

昨秋、『日本の文化をデジタル世界に伝える』という著書を刊行した。このブログでは刊行の経緯について触れたことがあり、また、大学院生の方々による紹介記事を掲載したことがあったが、内容について、自分ではあまり触れなかった。この本が、ありがたくもデジタルアーカイブ学会の賞をいただくことになり、最近、そのための挨拶文を書くという機会があり、また、少し前に、ありがたいレビューをいただいたこともあり、改めてこの本が伝えようとしていることについてちょっと記しておきたい。

本書は、端的に言えば、文化資料デジタルアーカイブの構築・運用を扱うものである。そして、技術的な事柄を基礎として、そこから立ち上げってくる種々の課題に ついて解説したものである。近年デジタルアーカイブにおいて中核的なものとなってきているWeb技術は日進月歩だが、同時に、常にその技術的制約によって 提供者・利用者ができることが変わり続けている。理論的には何でもできるはずだが、コモディティ化した技術でなければ実質的には使えないのと 同じであり、そのレベルでもたらされる制約を把握しておくことによってはじめて、大きな飛躍の可能性を想定し、準備することができる。 それでは、技術のコモディティ化はどのようにしてもたらされるのか。そして、それとどう付き合えばいいのか。本書が狙いとしたのは その点を明らかにすることで技術的制約にどのようにして取り組んでいけばよいのかを示そうとしたのであり、さらに、それによって、 デジタルアーカイブの技術的な持続可能性のみならず社会の中での持続可能性を高めていくことができると提示しようとしたのであった。

特に強調したかった点の一つを挙げるなら、コモディティ化のプロセスにおける技術・規格の標準化と普及は、デジタルアーカイブを構築・利用する我々であっても 関与できる事柄であり、むしろ必要に応じてそこに関与することによって自らの取り組みを広く世界に浸透させ、その意義をより深めることが できるという(実は当たり前の)事柄である。実際にそれをするかどうかはともかく、日本に保存されてきた文化資料のデジタルアーカイブに取り組む人々がそのことも視野に入れながらデジタル世界に伝えるべきことを 考えていくなら、そのような主体的な態度で臨むことによって、デジタルアーカイブの持続可能性の要である標準技術への 準拠という、外野からは簡単そうに見えながら現場ではしばしば困難な課題に建設的に取り組んでいけるようになるのではないか、 そしてさらに、目の前のデジタルアーカイブに取り組むという孤独な営みが世界のともがらと様々な形でつながっていることを実感する契機になる のではないか、そのような願いを込めたつもりである。日本の写本のデジタルアーカイブで取り組んでいる課題は多くの場合西洋中世写本にも同様の課題があり、 日本の木版本の課題はインキュナブラに似た課題を見いだせることもある。異なる点も様々にあるが、似たところを見つけることで 自分(達)が孤独ではないという気持ちを持てることはプラスに働くこともあるだろうし、 それによって発想が広がることもあるだろう。そして、そもそも混淆的な文化である日本の文化資料に 取り組むことは、そのまま世界とつながることでもある。そのことは、文化資料の次元でもデジタルの次元でも 様々にあり得るのである。

そのようなことで、本書は、個別の技術をかなり多く採り上げているものの、話としては比較的長く通用するような内容としたつもりである。 目前の大切な資料を相手に、デジタルアーカイブをどのように作っていけばいいか、そしてそれをどう維持していけばいいか、と考えている方々のお役に立つことがあれば幸いである。 また、そのような営みである文化資料デジタルアーカイブというものを、デジタル情報知識基盤に関わろうとする様々な立場の方にも理解していただくことができれば、なお幸いである。