3D×紙の繊維×漢字字形:イベント盛りだくさんな土曜日でした

3/13(土)は、参加したいイベントが盛りだくさんな日でした。

なんとか少しでも参加できたのは、3Dと紙の繊維と漢字字形を扱う3つのイベントでした。他にも 日本語コーパスのイベントと舞台芸術アーカイブのイベントがありましたが、残念ながら、これは参加できませんでした…。

特に3次元データ紙の繊維のイベントで 共通しているように思われたのは、人文学において新たに取り込もうとしている 認識の様式をどのようにしてこれまでの文脈のなかで共有可能な言語、あるいは記号に置き換えるべきか、 という点でした。3次元データイベントの方では、ディスカッションの 時間に、考古学における計測と観察の関係についての議論等で特にそういう話が出ていたように思われました。 一方、紙の繊維のイベントの方では、 とくに、舟見一哉氏の発表でそういった 問題意識が丁寧にまとめられていたように感じました。後者のイベントは、実践女子大で入手した VHX7000という 高精細マイクロスコープで紙の繊維を観察してその顕微鏡画像から資料に含まれる事実を 解明しようとする私立大学ブランディング事業のシンポジウムということのようでした。すでに 佐藤悟氏が国文学研究資料館のイベントで発表をしておられたことがあったと思いますが、今回は 色々な論者による様々な観点からの発表がずらっと並んでいてなかなか壮観でした。 紙の繊維のイベントの方は、発表レジュメがWeb公開されている のでそちらでその一端を知ることができると思います。舟見氏の発表に限らず、全体として非常に面白いシンポジウム であり、レジュメ資料もそれなりの情報量がありますのでこれは読むことをおすすめしたいところです。 ただ、舟見氏の発表はスライド資料がわかりやすく充実していたように思われまして、あれも 公開していただけるとうれしいなあ…などと思ったりしたところです。

一方、漢字字形の件というのは漢字文献情報処理研究会における 上地宏一氏によるGlyphWikiについての発表を指しています。 こちらは新しい認識の様式を共通化して取り込む、という点について、機械可読・変形可能な漢字の部品を対象として取り組んだと 言うことができるように思われるが、なんと2001年には、「部品で漢字を表現するシステム」としてのKAGEシステムの 中核部分を実装していたとのことです。(この件はリアルタイムに 知っていましたが、年代はもう忘れてしまっていたので確認してみたのでした。)

一度、そのようにして機械可読・変形可能な漢字の部品が共有されたことにより、このシステムはGlyphWikiという漢字字形共同作成システムへと 発展します。漢字の部品は言葉を表現するための要素ではありますが、言葉では表現しきれない情報も、機械可読・変形可能な漢字の部品として共有できる システムを誰もが利用可能になったことで、それまでの様式を超えた情報交換も可能になった、という点が非常に面白いところです。 ちなみにこの GlyphWikiは、10年以上継続運用されてきた結果、東アジアの漢字マニア/研究者の間ではデファクト標準になっていて、 海外で漢字の議論をしているとしばしばこれが字形共有基盤として出てくるようなものなのですが、 トップ投稿者は49万文字、上位からみて第30位でも11642文字を投稿しているとのことで、 相当に広まっていることが想像されます。漢字を作成するためのエディタが優れていて、 簡単に新たな漢字字形を作成できる点と、部品として使えるフォントのライセンスがフリーであるという点が 受容されているところなのでしょう。

さて、こうなってくると、紙の繊維の画像も、言語化を超えた次元でなんとかできないのか、という気もしてきます。 となると、今はディープラーニングによる画像認識が使えないのだろうか…というテーマは、なんとすでに 明日の紙の繊維のシンポジウムで中村覚氏による発表があるそうです。すでにレジュメは公開されていますが、 発表の方も気になるところです。

というようなことで、人文学においても研究における認識の様式が、今後しばらくの間、様々な局面で新たな状況への対応が必要になっていきそうな雰囲気です。 @yhkondo先生の以下のツィートを拝見して、まったく同感だと思ったところでした。

それはそれとして、本日は期せずしていくつものイベントを並行して拝聴することになりましたが、 エジプトに行ったり敦煌に行ったり英国図書館に行ったり、そうかと思えば高山寺に潜り込んでみたりイェール大学やら ブラウン大学に行ってみたり、中国の大学のやや厳しい雇用事情を知ってみたりと、 フィールドとしての人文学の多様性を実感したというか、世界一周旅行をしたような気分に なってしまいました。熊倉和歌子氏の「期せずして補修前の遺跡の姿をVR保存することになってしまった」というエピソードも 臨場感を与えてくれてわくわくしたものでした。こういうたくさんの話を家で聞けるというのは、一過性のものかも しれませんが、直接お会いできない残念さはあるものの、オンラインゆえの貴重な体験でもあるかもしれない と思いながら余韻に浸っているところです。