書物のグローバルな歴史における日本の位置付け

今夜は慶應義塾ミュージアム・コモンズのシンポジウム「KeMCo国際シンポジウム|本景——書物文化がつくりだす連想の風景」を 拝聴して勉強させていただいた。

前大英図書館収書・司書部長のクリスチャン・イエンセン氏、トロント大学の中世英文学教授、アレクサンドラ・ギレスピー氏、オクスフォード大学ボドリアン日本研究図書館長のアレッサンドロ・ビアンキ氏という豪華な海外メンバーに加えて、日本からも松田隆美氏、佐々木孝浩氏、徳永聡子氏、という豪華メンバーに加えてディスカッションは本間友氏が仕切るという、慶應大学の盤石さを感じさせる素晴らしい構成のシンポジウムだった。

ベンヤミンのアウラを媒介としてミュージアムと図書館における価値の在り方の違いを明快に示した冒頭のイエンセン氏の講演は、このシンポジウムのみならず、ミュージアム・コモンズや、さらに、議論の場の形成に課題を抱える日本のデジタル・アーカイブにヒントを与えるものでもあったように感じた。それに続く、マイクロCTスキャンや化学分析等の様々な技術を活用して古典籍を分析するギレスピー氏、書物のパラテクスト性の議論をケムコの展示に展開する松田氏、その後、小休止を挟んでビアンキ氏による書物とアートの関係、佐々木氏による八万塔陀羅尼に始まる特小本から想定し得る生活史の中での書物の位置づけ、徳永氏による旅行案内書の造本方式の発展の話など、どれも色々な示唆を与えてくれる興味深い発表であった。

本筋とはやや関係ないのだが、今回とくに気になったのは、ギレスピー氏の発表だった。サンスクリット語のバガバッド・ギーターを含む本や、敦煌莫高窟で見つかった、仏尊が描かれ漢字で少し文章が書かれていた、鉄釘で(これが分析によって判明したことの一つだそうだ)どこかに貼り付けられていたであろう紙など、世界各地の様々な資料についての、物としての詳細な分析による書物の在り方の想定がなされていた。この種の研究は、これほど総合的ではないにせよ、日本でも実践女子大学の「紙のレンズからみた古典籍」シンポジウムや国際シンポジウム「料紙研究×自然科学:古文書研究の新展開」などが開催され、高精細デジタルマイクロスコープで紙の繊維をみたり、紙に含まれるでん粉粒の状態を観察したりするなど、紙の性質からアプローチするという取組みについては始まっているようだ。こういった研究では、テキストデータのように内容を一括して分析するといったこととはまったく逆で、一つ一つの物の物質性を通じてそこから見える歴史や文脈を明らかにしようとすることになる。遠読か精読か、という見方をするなら究極の精読であり、一つの書物の全体をくまなく確認することすら困難だろう。

つまり、研究対象をごく小さな点で定めて、そこから全体を想定するような研究ということになりそうである。そうだとすると、グローバルに書物の物質性を分析していこうとしたときに、どの点をどう定めるか、ということが非常に重要になるだろう。書物ということであれば、書写や印刷術で作成されるということで、言語というよりはむしろ文字の違いが重要になりそうだ。ということは、研究対象を定める際には、文字の伝播の仕方を一つの参考とするのがよさそうである。そのように考えると、ローマンアルファベットの系統やアラビア文字、ブラフミー文字、漢字、といったあたりからチョイスしていくことになりそうであり、実際の所、文献が非常に豊富なのもそのあたりである。しかしながら、それを踏まえた上で、やはりグローバルというからには、マジョリティ的なものばかりを追いかけるだけでなく、いわばそういったメインストリームから外れたところもきちんと参照していく必要があるだろう。ではどこどのように見ればいいのか。そこで、漢字文化圏の周縁としての日本語という位置づけが有用になってくるように思う。漢字に影響されつつ自らの書物文化圏を構築していった地域としては、他にも朝鮮半島やヴェトナム等があると思うが、他にも同様に、ブラフミー文字に影響されつつ南アジア・東南アジアに幅広く書物文化圏が構築されるなどしてきたように思われる。そうすると、どこに研究対象を見出すかという検討を行う際に、影響を大きく持った(ようである)書物文化圏の中心的な地域と、それに対するその周辺地域という仮の枠組みは、作業仮説としてはある程度有効であると思う。この作業仮説に基づいてプロットを行い、広げていくことが、その作業仮説を覆すような発見をもたらしていくこともあるかもしれず、そういう意味での面白さもありそうだ。このような作業仮説のなかでは、周辺地域の一つである日本語の書物は、周辺でありながら、しかし独自の大量の書物を有しており、その調査も相当に進んでいるため、研究対象を見つけやすい上に分析後の位置づけも比較的容易である。そうだとすると、グローバルな書物史を検討する際に、周辺地域の事例として非常に活用しやすいのではないだろうか。しかも、やや余計なことかもしれないが、中心で作られたものを様々に輸入して大事に保管してきたところでもあり、そういった文化的な特徴も議論の俎上にのせると何か面白い分析ができるかもしれない。

ということで、今回のシンポジウムを拝聴してみて、今後は周辺地域としての日本という位置づけを書物史に関するグローバルな議論の中でうまく提起していくとよいのではないかと(改めて)思ったところだった。