国文学研究資料館の古典籍等のデータベース群(の一部?)にパーマリンク的なものがついた模様

いつアナウンスされたのかよくわからないのですが、国文学研究資料館の古典籍のデータベースに「書誌URL」というものがつきました。これはいわゆるパーマリンクに近いものなのではないかと想像しています。たとえば、下記の引用画像の赤線部をご覧ください。

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これまで、公式には、こういったURLが書誌情報に関しては発行されておらず、普通のユーザからは、この書誌のページをリンクすることができませんでした。が、現在、それが、この「書誌URL」からできるようになっているようです。たとえば下記のブログなど、さっそく、専門の方々からも喜びの声があがっているようです。

d.hatena.ne.jp

これで、万単位の古典籍資料が「この資料を」と言って提示する時にURLで直接提示して公式サイトにリンクできるようになりますので、地味ですが、本当に大きな進歩です。

 

特に国文学研究資料館の古典籍のデータベースに関してのこれまでの問題点は、細かいところでもいくつかあるのですが、大きなものとして、(1)書誌情報に外からリンクを張れないために、URLで典拠情報を提示できなかったことと、(2)画像のページには外からリンクを張れるが、そこから書誌情報のページに戻れないために、画像を見ても何の画像だかすぐにはよくわからない(=画像自体を自分で見て判断するか、書誌情報を別途検索して探さなければならない)、という2点がありました。このうち、(1)が解消されたということになります。

 

このことを知ったときにすぐに思い浮かんだのは、先月に急逝された古瀬蔵先生のことです。古瀬先生は国文学研究資料館の情報部門の責任者としてこの十数年ほどお仕事をしておられ、2011年のもののようですが、お人柄をよくあらわした(ように個人的には思っています)ざっくばらんなご対談が、国文学研究資料館のある立川市タウン誌のサイトに掲載されています。研究領域が近かった古瀬先生とは色々な研究会を通じてお話しをすることがあり、この数年は国文学研究資料館の電子情報化委員というアドバイザー的な仕事をしていたこともあったので、上記の2点をやってください、と、ずっとお願いしていて、今年度に更新したシステムでは(1)はできるようにする、でも(2)は今回は無理だった、ということをうかがっていて、今か今かと待っていたのでした。結果として、1年近くかかってしまいましたが、ようやく(1)が達成されました。

 古瀬先生が時折私にお話ししてくださっていたことの一つに、自分がいなくなってもシステムが動くようにしないといけない、ということがありました。確かに私は先進的なシステムを提供しようとするあまりに自分がいなくなったら動かなくなるのではないかという懸念とは背中合わせの状況にあります。自分がいなくなっても稼働し続けられるように、続く人が継続できるようにと、いろいろな工夫をしてきていて、IIIFやTEI、Unicode等に入れ込んでいるのはそれを解消するための土台を皆で共有できるようにするということもあるのですが、まだ完全とは言えません。一方、古瀬先生が責任者として動かしておられた仕事は、事業として確実に動かせる形を目指して整備され、古瀬先生が亡くなった後にも着々と進められ、ついに公開にまで至り、とても地味ですが、しかし、国文学のみならず、日本文化研究全般を大きく前進させる1歩を刻むことになりました。それだけでなく、色々なデータベースがシステムの全面更改を経て今もなお普通に使えていることもまた、古瀬先生のご尽力に負うところが大きく、そこには学ぶべき事が多々あると思っています。国文学研究のデジタル化という極めて難しい仕事に取り組んでこられ、時折その大変さをおうかがいすることはありましたが、情報工学者と人文学者というギャップにはじまり、事業として研究を支援すること、日進月歩のデジタル技術を事業として扱わなければならないことなど、おそらくはおうかがいする以上に大変なことは様々にあったのだろうと思います。道半ばになってしまったことは古瀬先生としても残念なことだろうと思いますが、その着実なお仕事は、今後も、おそらくはほとんどそれと意識しない形で、我々に色々な恩恵を与え続けてくれることでしょう。

 

古瀬先生、ありがとうございました。