翻訳は研究業績にならないの?

少し前に、パワポ資料は研究業績にならないのか、という記事を書きましたが、 最近、以下のツィートを拝見しましたので、今度は、翻訳はどうなのか、ということについて少し思うところを書いてみたいと思います。

まず、細かいところに突っ込むようですが、しかしこの種の事柄を検討する上で大事なポイントだと思うので 抑えておきたいのが、 「研究者の業績」を「カウント」するということ自体が、少なくともここで問題になりそうな 人文系においては割と最近のことだったのではないか、という点です。そして、そもそも 「カウント」、つまり、個々の業績に点数をつけたり業績の種類に応じて重み付けをしたりする という業績評価スタイルが人文系に導入されたのは割と最近、この10~20年くらいのことで、 未だにそのようにしていないところも結構あるのではないか、ということです。 もう少し言い方を変えると、かつては翻訳が業績として「カウント」されずにもっと 大まかな質的評価が行われていて、理工系のようなカウントシステムが導入されたときには 理工系の論理で翻訳はカウントから外されてしまい、結局のところ、翻訳が「カウント」 されたことはなかったのではないか、というようなことを漠然と思ったのでした。 研究業績評価≒人事評価に関することはあんまり公表されてなくて、自分が関わったところと、 それに加えてたまに公表したりしているところくらいしかわからなくて、あとは都市伝説めいた 話になってしまうことが多いように思うのですが、具体的な調査が行われたこともあるようですので ちょっとみてみましょう。

三菱総研によるアンケート結果では

たとえば、文科省の平成26年度研究開発評価推進調査委託事業の 報告書が、五輪前のコロナ感染者数予測で話題になった株式会社三菱総合研究所から 出ておりまして、以下のPDFで読めるようになっています。

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2015/05/20/1357995_01.pdf

平成27年度行政事業レビュー によればこの調査報告は840万円で実施されたようです。

内容としては大学研究機関にアンケートを行ったものをまとめたようで、 個人業績評価の実態に関するアンケート調査ということで 大学関係786件、研究開発型の独立行政法人33件に送付して、それぞれ575件、33件の回答を得たようです。 回収率はそれぞれ、73%、64%です。

そうしますと、平成26年度の時点で、なんと個人業績評価を実施していない機関が49%、ほぼ半分のようです。 アンケートに回答していない機関がどうしているのか気になるところですが、このアンケートだけを 見ると、業績業績と詰めてくるところは、数としては半分くらいしかないということになるのでしょうか…? アンケートに答えた人がどういう立場の人で、 その人はきちんと学内の事情を把握していたのかどうか、ということもちょっと気になるところではあります。 いずれにせよ、業績評価の影響を考えるなら、それぞれの所属研究者数 もみておきたいところではあります。

冒頭から少し気になるところもありつつ、 「翻訳」が評価されるかどうかについて確認したいので、とりあえず 「評価項目」をみてみます。 p. 34(PDFだと42頁)にリストされているのでみてみますと…いわゆる「研究」にカウント できそうな項目としては以下のようになっています。

  • 成果の学術的価値
  • 成果がもたらす社会・経済・文化的な効果の価値
  • 論文・総説
  • 論文掲載誌のインパクトファクター(IF)
  • 論文・総説の被引用
  • 報告書の執筆
  • 専門書籍の編集、執筆
  • 学会発表・講演
  • 学会活動(役職等)
  • 特許・実用新案の出願・登録・ライセンシング

「翻訳」はもしかしたら「成果の学術的価値」「成果がもたらす社会・経済・文化的な効果の価値」 あたりに入れることは可能なのでしょうか?アンケート項目そのものがどうだったかわからないので、 項目に「翻訳等」に入っていたのだろうか、あるいは、入ってなくて(その可能性がこの場合 大きいような気がしますが)、もし入っていたらどうだったのだろうか、と色々想像してしまうところです。 とりあえず、調査する側の視野に研究業績としての「翻訳」は入っていなかった可能性も あるというところにとどめておきましょうか。

ということで、

このアンケートだけだと、数字としては、個人研究業績を問題にするところは 半分くらいしかないので、海外の学術書的な本の翻訳が業績になるかどうかという のはそれほど関係ないのかもしれない、という可能性も出てきますが、 大規模機関も小規模機関も1とカウントされてしまうようなので、小規模機関 がたくさんあって、評価対象の研究者数で見てみた場合にはまったく 違う景色が見える可能性もあります。

一方、アンケートとしては、翻訳を研究業績にカウントするところは 一つもないということになりますが、そもそもアンケート項目に入っていなかった 可能性もありますので、そうすると翻訳が業績として評価されるのかどうかの 調査はなされていないということになる可能性もあります。

結局、現状はあまりよくわからない…というのがとりあえずの印象です。

リサーチマップでの「翻訳」の扱い

別な観点から見てみると、近年、業績を掲載しておくデータベースとして国内でデファクト標準の 地位を固めつつあるリサーチマップの入力ガイドでは、 以下のように、翻訳も掲載できるようになっています。

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リサーチマップマニュアル

リサーチマップは、とにかく何でも記載できるようにしておいて、評価の対象にするかどうかは評価する側が考えるという スタンスのようですので、この点は好感が持てます。個人的には「単訳」という表現がちょっと見慣れないですが、 これは私の世間が狭いためかもしれないですね?

翻訳を業績にして大丈夫?

さて、そのようなことで、翻訳が業績にならないかというと、必ずしもそうではないようだ、ということまでは 言えるように思えてきました。もちろん、査読付き国際ジャーナルや、分野の中で誰もが認める日本語学術誌に 掲載された論文に比べたら、業績としてカウントされるかどうかは微妙かもしれませんが、それなりに 評価される場合もありそうです。

さて、では翻訳を業績にして普通にカウントして問題ないのか、ということ、次に気になるのが、 業績を増やすために機械翻訳にちょっと手をいれただけのようなものがばんばん量産される事態に 陥るのではないかという懸念です。そのあたりは、一流の研究機関の一流の研究者の方々の間では まったく問題にならないわけですが、研究者・大学教員は一流の人たちだけで成り立つものでは ないので、一流でない人たちをいかにしてうまく評価して、適切に学術に貢献してもらいつつ 自分の研究業績もあげてもらい、さらに自分の組織の維持発展のための仕事に従事してもらうか、 そのための制度設計をどのように行うか、ということはとても重要です。 ここで、翻訳は業績にカウントしてよい、という話になると、 もちろん、一流の人たちは一流の翻訳書を刊行してくださるので何の問題も ないのですが、そうでない人たちは、とりあえずルールの範囲でなるべく高い評価を 得たいと思う人も少なくないですし、それは、子供がいて家のローンもあるので 給料を少しでもあげたい、とか、いい年なので管理職系の仕事が多く回ってきて 勤務時間内は研究時間がとれないのに介護が必要な親のために私的な時間を研究に 使えなくなってしまった、というような切実な状況においては、それでは 翻訳書をなるべく省力化して出しますか、ということになってしまっても仕方がないこと ではないかと思ったりもします。結果として、粗製濫造になってしまって、 翻訳を業績カウントすることの問題がよりクローズアップされてしまって今より 状況が悪くなるかもしれないとも思ってします。

翻訳を業績としてカウントするルールは可能か?

しかしながら、よい翻訳を業績としてカウントすることは、できるなら実現した方がよいに 決まっています。とくに人文系の学術書の翻訳は、それまで日本語文化圏にはなかった概念を 日本語の概念体系に移し替えていく仕事になります。時折、新しい言葉が定義され登場する こともありますが、それも多くの場合は、日本語の 概念体系の中にはどうしても収まりきらず、新たな言葉と定義を与えて日本語文化の中に それを定着させるべく、熟慮に熟慮を重ねた上で、慎重に行われるものです。 これを、きちんとやろうとすると非常にアカデミックかつクリエイティブな仕事になります。 このあたりは、理工系とはかなり事情が異なりますし、これが学術的な仕事として認められない となると、さすがにちょっとまずいのではないかという気がします。

そこら辺をなんとかしつつうまく話を前に進めるためには、「こういう翻訳(書)が これくらいのレベルで翻訳されていれば業績とカウントすべき」 というような基準が示されているとよいのではないかとも 思います。基準そのものは、評価する側で作れればそれがベストだと思いますが、 分野がずれるとよくわからなくなってしまうので、たとえば学会等で「この翻訳書は 学術的意義が高い」などというようなリストを毎年作ってくれると、 評価する側を助けることになるだけでなく、その学会の構成員の業績は 高評価を得やすくなって分野が少し栄えることになるかもしれない、と 思ったりもします。もちろん、学会誌に書評が載ることもありますので そういう場合はその内容も参照できるとなおよいかもしれません。

もちろん、既存の学会の枠組みでは評価されないような、しかし重要な 学術的著作の翻訳書というのもあるでしょう。それはそれで、何か別の方策が 必要です。その種の本のなかでは、新聞の書評で紹介されることもあると 思いますので、その書評の内容も含めて評価の際に参照するという手もある かもしれませんが、そういうものはちょっと評価が難しいことがありそうですね…。

すでに、日本の人文系学会でも、そういう方面についての対策を考えたり まさにそういう基準を作っているところがあるかもしれないのですが、 調査不足でまだそういう情報にはたどり着いておりません。

いずれにしても、割とちゃんとした翻訳書を出せるような人は、その言語に関する 読解力やその本のテーマになっている事柄についての知見をかなり持っていると みなされることがおおいにあるようにも思いますので、研究としての評価はされなくても、 公募採用人事等の評価においてはプラスに働く場面もそれなりにあるのではないか という気もします。

業績になるかならないか以前の問題として?

良質な海外学術書の翻訳が以前に比べて減っているのかどうか、そういう調査結果をみた ことがないので客観的なことは何も言えませんが、海外の学会等に出て色々話を聴くと、 こういうテーマの本もまだ日本語では出てないのか…と思うことは少なくなく、 もうちょっとそういう翻訳書が出てくれればいいのに、と思うことがあるのは確かです。 ただ、では、誰がやるのかというと、そもそも翻訳する人が減っていないだろうか、という ことも気になります。また、あまり売れないかもしれない学術書の翻訳出版に付き合ってくれる 出版社というのももしかしたら以前よりちょっと減ったりパワーダウンしたりしている かもしれないと思ったりもします。紙の学術書自体の売り上げが落ちてきているという こともこの件には結構影響しているかもしれません。そのあたりも含めて少し大きな 見通しを持ちつつ善後策を考えていく必要があるのかもしれません。

そもそもの問題として…

ただ、もう少し大きな枠組みでの問題も生じつつあるようで、これをどう考えたらいいのか、と 悩んでおります。具体的には、以下のツィートの件なのですが、

こういうことになってしまうと、翻訳書が業績にならない、というようなレベルの話ではなくなってしまいます。 理工系の業績評価の論理というより、もしかしたら、研究業績評価企業のマーケティング戦略が大学全体を覆い尽くしてしまっている のかもしれないと思いますが、これはさすがにまずいのではないかと思うところです。

「書籍」として評価されなくても、出版助成をとっていれば外部資金獲得として、 本がたくさん売れれば社会貢献として評価されることはあり得るのかもしれませんが、 翻訳書も含む学術書全般を刊行するためのインセンティブを大きく引き下げることになりそうな話である ことは否定できません。

このあたりのことについては、いずれまたこちらのブログに思うところを書いてみたいと思っております。