オープンライセンス表示に一工夫を

 あけましておめでとうございます。2018年も色々ありましたが、国立国会図書館デジタルコレクションでIIIFが採用されるという、業界的には大きな出来事がありましたね。IIIFは元々、フランス国立図書館・英国図書館が言い出しっぺに名を連ねている上に、バイエルン州立図書館でも採用して、米国議会図書館でも2018年6月にはIIIFカンファレンス(年次総会)を開催することになっていて…というタイミングで、ようやく日本の国立国会図書館もデジタル化資料共有の輪の中に入ってくれたということで、ほっと一安心の2018年でした。がんばってくださった関係者の方々には感謝すること至極です。

 ところで、この業界をしばしば熱くさせるパブリックドメイン資料の公開とその扱いについて、昨年、少し面白い話がありました。私も少しだけ話をさせていただいた、東京大学学術資産アーカイブ化推進室によるセミナーでのことだったのですが、著作権保護期間が終了していることが確実な資料に関して、「できれば利用したことを明示してもらいたい」というお願いに関するリーガルツールを作ると良いのではないか、という話が出てきたのでした。

 パブリックドメイン資料に関する再利用についての考え方は、立場によってかなり意見が変わってくる話なのですが、私が話をしてきた限りでは、大体以下のような立場に集約できるように思えます。

 

1.パブリックドメイン資料はとにかくなんの規制もなく自由に使えるべき

2.パブリックドメイン資料公開の予算を確保し続けるには利用実績の提示が必要だから:

 2-1.アクセス数が減ると利用実績を説明できなくて困るので:

  2-1-1.再配布は禁止

  2-1-2.ダウンロードも禁止

 2-2.アクセス数はともかく引用・利用を明示したいので:

  2-2-1.引用・利用等についての明示を(義務化|お願い)

  2-2-2.引用・利用等についての連絡を(義務化|お願い)

  2-2-3.頒布物の現物の提出も(義務化|お願い)

3.パブリックドメイン資料でも公序良俗に反する使い方をされると関係者に迷惑がかかるかもしれないので

 ○○○は禁止

 

 完全な利用者サイドとしては1.が望ましいのですが、一方、「誰が使ってるかもさっぱりわからないものをただ義務意識のみに頼って公開し続けるべく予算配分を安定的に行う」ことができるほどの意識が高い人々が多数を占めていたり大きな力を持っていたりする組織はなかなか多くはないように思われます。公開者サイドに立つこともある身としては、2.の事情の切迫感もひしひしと感じます。特に予算担当者や意志決定に関わる方々に対しては、アクセス数の数字を示すグラフの線の角度が良い意味でも悪い意味でも説得力を持ち得ることは想像に難くありません。

 しかしながら、貴重な古文書・古典籍の画像をデジタル化公開したとして、そのものの価値を理解して日々アクセスしてみようと思う人がどれだけいるか、ということを考えたとき、アクセス数を根拠とする予算計上が長続きするような資料を持っているところは決して多くはないでしょう。多くの人が見て面白がりそうな資料をいくつかデジタル化公開したとしても、一通り見終わったら、何度も見に来たり、定期的に見に来てくれたりする人はごく稀になるでしょう。Web公開した場合、入場制限もないのですから、「今日は混雑しているから来週にしよう」という風にもなりにくく、見たいと思った人も最初の数日間に一通り見てしまって、最初だけは大量アクセスを稼げたとしても、再訪を期待できるものかどうか、ということにもなってしまいかねません。それでもアクセス数を稼ごうとするための色々な努力はそれはそれであってもよいと思いますし、私自身もそういう工夫は色々してみております。ただ、どうしてもそれだけでは限界があります。Webに資料が増えれば増えるほど、利用者の皆さんが自分のところのデジタル化古文書・古典籍を見るために割いてくださる時間は減っていってしまうのですから、やはり別なロジックがないと持ちこたえられないところが多いのではないかと思います。

 そこで出てくるのが、「専門家に明示的に利用してもらうこと」です。プロかアマチュアかには必ずしもこだわらないのですが、資料の内容やその価値を理解できる人に、現代人が理解できるきちんとした文脈の中に位置づけてもらないがら資料を使ってくれる形になれば、それは、一人の利用者が一回Webサイト上で資料を見ることに比べると、社会への波及効果としては格段の違いがあります。資料の価値が再発見され、現代社会での新たな位置づけを見いだしていくことができるとしたら、そこには資料を公開した意義が別の形で姿を表すことになると言えるでしょう。このロジックを整理することで、専門家による利用は単なる1アクセスとは異なるという評価の仕方を踏まえることができるなら、デジタル化資料の公開を続けることも多少は容易になるでしょうし、また、専門家による利用を促すことへのインセンティブが高まるのだとしたら、結局のところ、それは資料の価値を再確認して社会に波及させていくという本来あるべき状況を実現することを促すことになるのですから、むしろ歓迎すべき状況になると考えてもよいのではないかと思います。

 そうすると、専門家がなるべく使いやすいような状況を作っていくことが一つのポイントになります。その場合、ダウンロードも再配布も妨げないようにすることが近道でしょう。禁止すると、許諾のための手続きが発生して、その分の人件費がかかります。手続きを定めたり改訂したりするための手続きも発生します。担当者が起案して、会議にかけたり上司が決裁したりするのにかかる時間(=人件費)を埋めるだけの価値のある業務なのかどうか、さらに、それでいながら、利用者にも手間をかけさせることも考えた場合、果たしてそれでいいのかどうか、ということを考えていくなら、許諾手続きを課すことはなるべく避けた方がよいという判断は十分にあり得るでしょう。

 上記のまとめの2-2.以下は、とりあえず気持ちとしては「義務化」と「お願い」の2種類があるように思われましたので、一応、そのように書いてみております。ただ、実質的にはパブリックドメイン資料の利用に関して何らかの義務を課すことは、日本では意味を持たないようですので、義務化をすることによるルールの空洞化を招くよりは、最初から「お願い」にしてしまった方がよいのではないかという気もしております。たとえば、京都大学貴重資料デジタルアーカイブでは、まさに、2-2-3.の「お願い」を提示しています東京大学総合図書館でもこれに続くかのように同様の条件(お願い)を提示しています。

 上記のまとめのうち、3.に関しては、特に申し上げることはありません。資料の性質によってはそういうこともあるかもしれませんが、そのことと、利活用可能性を高めることによる社会への効用とを今一度天秤にかけて検討してみていただけたらと思うばかりです。

 

 さて、そのようなことで、2-2.以下を「お願い」として提示することは、パブリックドメイン資料の公開を続けていくための比較的穏当な道であるように思えます。すでに京都大学東京大学では文章で提示しているのだから、それと同様に文章で書いておけばよいのではないか、ということは、ここまでの話だとその通りなのですが、この件には、もう一つの重要な観点があります。それは、機械可読性、です。

 Webでのデジタル化資料は、今後、各所で様々に利活用されることが命脈を保つ道となっていく可能性が極めて高く、そのためには、「この資料はどういう風に扱ってもよいのか」ということをコンピュータプログラムが判定して、CC BYのURL (https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja) がライセンス欄に書いてあれば、権利者情報を決して消さないようにして、CC BY-NCのURL (https://creativecommons.org/licenses/by-nc/4.0/deed.ja) が書いてあれば、商用利用サイトにはデータが行かないようにする、といった案配で、URLを見ながら処理を振り分けていくことが必要でありかつ重要になっていくと思われます。この内容自体も機械可読にしようという話もあるようですが、たとえばクリエイティブコモンズライセンスの場合、すでに世界中に広く知られているため、プログラム開発にあたっても、クリエイティブコモンズライセンスにおいて用意されている数種類の選択肢を実装するだけでよいので、URLだけでもかなりの程度通用するはずです。

 しかし、このような環境下では、「パブリックドメイン資料である」と宣言(https://creativecommons.org/publicdomain/zero/1.0/deed.ja)してしまった場合、諸々のお願いに関する情報は伝わらないまま、所蔵者・公開者情報もないままにデータが流通することになってしまう可能性が高いです。多くの利用者は、利用に関しての手間は極力減らしたいのですし、プログラム作成にあたっても、ややこしい処理はなるべく減らしたいのですから、パブリックドメインを宣言している資料を取り扱うのであれば、細々とした情報を付与させようとするインセンティブはかなり低いでしょう。しかも、Webサイトごとに、「お願い」が書いてある頁を読み取ってその意味を検討する必要があるということになると、これもかなり大変ということになります。

 なお、これに関連するものの一つにRightsstatements.orgによる「NO COPYRIGHT - CONTRACTUAL RESTRICTIONS」という宣言があります。これも 

https://rightsstatements.org/page/NoC-CR/1.0/?language=en というURLが用意されるので、少し良い感じがします。ただ、この場合、「何らかの制限があることはわかったが、では実際にはどういう制限があるのか」ということで、実際には極めて多様な内容が想定され、また、それゆえに、それを具体的に説明したWeb頁やその他の情報をいちいち確認する必要があり、やはり、上記のような機械処理にはそぐわないということになるでしょう。

 そこで、間(?)をとって、あるといいかもしれないと思っているのは、2-2-1.、2-2-2.、2-2-3.の各項目をあらわすURL(とそれによって指し示される「お願い」の内容を書いたWeb頁)です。このことが、冒頭に挙げたセミナーで話題となったのでした。もちろん、URLを決めるだけでは十分な利便性を確保できることにはならないため、その内容についてもWeb頁を作成すると同時に広く告知を行い、さらに、そのURLを利用する機関・サイトを増やしていくことで、これらのURLに対応したプログラム作成を行うことの実効性を高めることができれば、やがてこういうものがデファクトスタンダードになっていって、全体として利便性が高まることがあるかもしれません。しばらく前から考えていたことでしたが、上記のセミナーで、特に渡辺智暁先生とお話させていただき、色々とコメントをいただいたことで、この方向性に活路を見いだせるのかもしれないという気持ちが少し高まったのでした。これはライセンスの話ではないので「リーガルツール」などという風に考えるとよいのではないかというお話もいただいたのでしたが、しかし法律はまったく素人なので、やはりそういう方面に通じていて、しかも比較的中立的な感じのところが音頭を取ってくださるとありがたいと思っているところです。

 また、もう少し考えてみると、専門家であれば、所蔵者についての情報を欠くと自分の情報の信頼性が損なわれる場合があるので、2-2-1.については、敢えて書かずとも勝手にやってもらえることの方が多いでしょう。そうすると、設定する意義が大きいのは、2-2-2.や 2-2-3.ということになるでしょうか。

 

 ということで、オープンライセンスに関わっておられるみなさま、本年は、ここら辺のことについて、色々ご検討をいただけますと大変ありがたく存じます。

 

 本件に限らず、デジタルアーカイブに関しては色々考えていることがありますので、また、折りをみてあちこちに書かせていただこうかと思っております。みなさま、本年も、よろしくお願いいたします。