Scholarly primitives: 最近デジタル人文学で話題になっている話

欧米のデジタル人文学業界も、最近はオンライン会議がよく行われるようになったり、SNSでの発信もますます活発化したりして、海外に行かなくても海外の様子が垣間見えることが増えてきました。

そこで気づいたことの一つが、かつて話題になっていたScholarly primitivesという考え方が改めて脚光を浴びているようだ、ということです。

知る限りでは、DHにおけるScholarly primitivesは、Digital HumanitiesがまだHumanities Computingと呼ばれていた2000年頃に、当時はヴァージニア大学で Institute for Advanced Technology in the Humanitiesを率いておられたJohn Unsworth先生が提示されていたのが最初であったように思います。John Unsworth先生はその後イリノイ州立大学アーバマ・シャンペーン校に 移って図書館情報学研究科長までされて、さらにブランダイズ大のVice provost兼CIOを経て、現在はヴァージニア大学に戻って図書館長をされているなど、英文学出身の DH研究者でいらっしゃいますが図書館・図書館情報学に非常に縁の深い先生です。

さて、Scholarly primitivesの話に戻りますと、DH関係の会議等では、時々、John Unsworthが提示するScholarly primitivesは…ということで議論されたりするのを 見かけることがありましたが、最近、ヨーロッパの人文学デジタルインフラプロジェクトであるDARIAH (Digital Research Infrastructure for the Arts and Humanities )の 学術大会で、Scholarly primitivesがテーマとなって、さらにJohn Unsworth先生が基調講演をされたようです。

DARIAH Annual Event 2020 - Sciencesconf.org

これだけでも大変興味深いところですが、さらに、この会議で 3D Scholarly Editions: Scholarly Primitives Reboot という発表をされた Susan Schreibman先生がベストペーパー賞を取られたとのことで、3DとScholary primitives、という組み合わせにも なかなか興味をそそられるところです。Susan Schreibman先生と言えば、TEIで書いた校訂テキストをきれいに表示してくれるViersioning Machineというソフトウェアの 開発プロジェクトを率いておられたり、DHの代表的な教科書であるCompanion to Digital HumanitiesのエディタをJohn Unsworth先生達とされたりと、DH界では重要なお仕事を色々してきておられますが、最近は3Dの学術利用(=学術編集版の構築)に力を入れておられるようで、すでにこの方面のフルペーパー "Textuality in 3D: three-dimensional (re)constructions as digital scholarly editions"も出しておられます。時間があれば、 このフルペーパーもじっくり読んで勉強させていただきたいところです。

というわけで、最近話題になっている、Scholarly primitivesですが、John Unsworth先生がWeb公開しておられる2000年の講演原稿がありましたので、

https://johnunsworth.name/Kings.5-00/primitives.html

みんなで原点回帰してみよう、ということで、とりあえずざっくり抄訳をしてみました。(抄訳というにはちょっと長いかもしれませんが…)。分野がちょっとずれると、日本語の学術論文でもなかなか手強いことがありますので、英語が 読めると言っても分野違いだったりDHを始めたばかりだったりするとなかなか読むのも大変かもしれない、ということで、誤訳もあるかもしれないのでご注意をお願いしたいところでも ありますが、英文で読むのはちょっとしんどいけどざっくり内容を知りたい、という人は、よかったらちらっとご覧になってみてください。

(なお、抄訳なので、原文に掲載されている画像は表示しておりませんので、図についての説明がでてきたら、原文のサイトの方でご覧ください。)

あと、Scholarly primitivesの良い日本語訳を思いつかなかったので、それは英語のままにしております。良さそうな訳語をみんなで考えてみましょう。

"Scholarly Primitives: どんな手法を人文学研究者は共通して有しているのか、そして、我々のツールはそれをどのようにして反映するのだろうか?"

part of a symposium on "Humanities Computing: formal methods, experimental practice" sponsored by King's College, London, May 13, 2000.

By John Unsworth

アリストテレスによれば、科学的知識(エピステーメ)は、自明な文(公理)の有限のリストから演繹的に従う文で表現されなければならず、そして、自己理解できる有限の用語リストから定義された用語(primitives)のみを使用しなければならない。『スタンフォード哲学百科事典』

「自己理解できる用語の有限なリスト」としてのPrimitivesという概念は、それ以上の定義や説明なしに公理的論理を進めることができるものだが、それは、(おそらくご存じのように)特に20世紀には、哲学や数学において困難に直面していた。しかし、ここでの目的はそれを解決することではない。ここでは、分野や時間、そして個々の理論的な方向性を超えて研究活動に共通する基礎的ないくつかの役割を表現しようとするために、「primitives」という言葉を自覚的に類推しつつ用いている。これらの「自己理解」の機能はより高いレベルでの学術研究に関するプロジェクトや議論、言明、解釈の基礎を形成する。それは、我々が本来持っている数学的哲学的類推や公理の観点からみたものである。私の「Scholarly primitives」のリストは網羅的なものではなく、その一つ一つを平等に扱うわけでもない。追加提案や変更・削除についての議論は歓迎するが、とりあえずの出発点として以下を挙げる。

Discovering/発見

Annotating/注釈

Comparing/比較

Referring/参照

Sampling/サンプリング

Illustrating/例示

Representing/表現

これらを提示することでとりあえず私が目指すのは、人文情報工学(現在のDH)において管理できるというだけでなくきちんと役立つツール開発の事業のための基礎となり得る関数(再帰的関数)のリストを提案することである。私の Primitives のリストには特に順序はない。実際のところ、そのうちの二つ、ここで真にprimitivesといえるものは、Referring/参照とRepresenting/表現である。というのも、これらはいずれも、他のどれにでも何らかの方法で含まれるからである。この二つに関しては、後述する。リストの全体に関して私が議論したいのは、これらの活動が時代やメディアを超えて学術研究の基礎となるものだということである。そして私が特に関心を持っているのは、デジタル情報、特に、ネットワークで接続されたデジタル情報に基づく学術研究である。

私が「Scholarly primitives」という言葉であり概念でもあるものと格闘し始めたのは、一年半ほど前、このキングス・カレッジ・ロンドンでのことであり、テキスト分析ツールに関するイギリス/米国の共同研究を資金的に支援するためのまったくうまくいかなかった努力の一環であった。(そういえば、私の Scholarly primitivesのリストでは「物乞い」という昔からの研究活動も含んでいるだろう)。この提案書では実際にはprimitivesという単語は使われなかったが、しかし、共通のアーキテクチャーがあれば、より高次の(公理的な)機能を達成するために組み合わせることができるいくつかのツールとして具体化できるかもしれない、学術研究のいくつかの基本的な機能を確かに想定していた。

この提案の次に行ったものは、それもまたうまくいかなかったが、米国人文学基金に提出したものであり、実際にその単語を用い、その概念を説明した。「人文学研究の機能的な原始関数」という章で、その提案書では以下のように述べた。

このプロジェクトが前提としているのは、「比較」が最も基本的な研究上の行動の一つ、すなわち、人文学研究の機能的な原始関数である、ということである。多種多様な資料を扱う様々な分野の研究者達が、いくつかの(時には多くの)分析対象を比較したいと考えている。それらの対象には、テキストであれ、画像であり、動画であれ、人が創り出したあらゆるものが含まれる。

少しの間その提案書から離れて、Scholarly primitiveとしての比較という点を止めて、いくつかの画像でそれを描写させていただきたい。まずはIATH(ヴァージニア大学のDHセンター)のユニコードブラウザ、次に、もうじき公開されるBlake Archive version 2.0のユーザインターフェイスである。

Babbleは、異なる言語系統・文化的伝統における共通の物語の要素を扱うテキスト群を比較しようとする宗教研究のプロジェクトの産物である。その比較は、潜在的には構造的なものであり、章や偈頌のような単位をキーにしたものになるかもしれないが、しかし、そのまま照合したり差分を確認したりできるわけではない。テキストそれ自体は概念的には対比可能であるものの、文字符号化という観点からは比較できないものだからである。Babbleを構築するという課題の大部分は、このような並置をWebを介して公開するという要件にあった。上記の図のような例では、三種類の文字セットがあり、これは画面に表示するためのUnicode文字エンコーディングとシステム依存フォントの間の水域を移行できるようにするJavaアプリケーションを開発することを意味している。(そして実際に、この種のシステムフォントを扱うJavaのメソッドに関するサンマイクロシステムズ(当時Javaを開発公開していた企業)の移行戦略があった)。言語を横断するテキスト比較のように、資料からは単に概念的な支援しか受けずに機能できるというのは、Scholarly primitivesの特徴であると言っていいだろう。これらのprimitivesは、減ずることのできない学術研究の通貨であり、原理的に言って、あらゆる形式やトークンの境界を横断して交換することができるはずである。

比較に関する二つ目の事例は、Blake Archiveである。研究者や学生がBlakeの彩飾本の様々な刷りを比較できるようにすることは、このアーカイブが初期に目指したことであった。このアーカイブの現在のバージョンでは、インターフェイスはアーカイブのSGMLデータのジャンル・作品・刷り・版という階層構造を(かなり厳密に)反映している。そのため、二つの版を比較するためには、ユーザは階層をたどって一つの版を見つけた後に、二つ目のブラウザを開いてもう一度やり直し、そして、同じ版から別の刷りへとたどっていく、ということをしなければならない。このような使い方は、このアーカイブの設計として禁止されているわけではないが、確かに有効になっているというわけではない。比較する必要性とはとても基本的な要件であるということを認識した上で、我々は、このインターフェイスを改良した。どの本におけるどの版からでも、ユーザは、同じ作品の異なる刷りにおける同等の版のセットを引き出すことができる。あるいは、ユーザは、あらゆる別の作品におけるあらゆる別の刷りへと直接に飛ぶこともできる。それは以下のようなものである。 (図)

ユーザインターフェイスへのこれらの変更はまったく単純なものだが、二つの理由から、それらの変更は研究ツールとしてのこのアーカイブの有用性を大幅に高めた。一つは、それらの変更により、様々な理由で操作中に呼び出せる機能が提供されたこと(つまり、それらは、一つのscholarly primitiveを実現している)、もう一つは、それらが構造的・非構造的という二つの方法で比較するという特殊なprimitiveを提供しているという点である。ユーザは一つの操作でパラレルな版を画面に呼び出すことによって構造的なデータを活用することができ、そして、そうすることで、ユーザは、比較される対象を含む構造によって比較に対して課された制限を回避することもできる。この階層構造は、資料の作成と維持に際しては絶対に必要だが、しかし、末端ユーザの観点からは同等な機能的重要性が必ずしもあるというわけではない。我々は、その一つの操作でアーナイブ内の二点をつながせてくれる操作方法により、階層構造からさらに自由になる。(そして、現在のインターフェイスのユーザにとっては常識となっているその場しのぎの比較の手順は新しいレベルに引き上げられる。)

米国人文学基金の提案書に戻ろう。

二つ目の機能的なprimitiveは、我々の観点では、selection選択である。比較のための対象の選択だけでなく、同様に重要なのは、選ばれた対象の中の関心を持つ領域の選択である。三つ目の機能的なprimitiveは、linking関連付けである。関連付けは、注釈という古典的な形式におけるものでもあり、二つのデジタルな対象の間の、それ以上の数のデジタルな対象の中で、そしてデジタルな対象の内部において、有用な関連を創り出すという、より抽象的な意味におけるものでもある。

これは、IATH(前出)で作成されたWeb配信可能なJavaソフトウェアInoteを用いて、画像の選択されたサブセクションへの注釈のリンクを可能にしている。

InoteのアイデアはBlakeアーカイブからではなく、むしろ、ロゼッティアーカイブと影の谷(南北戦争の歴史)プロジェクトの初期の頃に出てきたものである。二つのプロジェクトはいずれも、たとえば私が万能ワープロでしているような、一つのページ上でテキストを用いて情報を単純に囲むよりも、より明確な、画像ベースの情報に取り組むための方法を求めていた。Webの初期には、「注釈サーバ」というものがあり、ユーザは、注釈をつけられた資料を見ている他の人と、そのサーバ経由で注釈を共有することができた。しかし注釈はページ全体に付与することができるが、もっと小さな単位に付与することはできなかった。つまり、画像全体に対してであって、その特定の部分に対してではなかった。それは1993年のことであった。2000年も、状況は同じである。注釈の共有は、すべての学術的な意思や目的にとっては、Web上では不可能なものであった。いくつかの興味深いが格好のよくなスキームや回避策が開発されてきたが(この中では、Inoteは、欠点はあるものの、実際にはまったく良いものに見える)、これに関してユーザができることは多くはない。

この例でも「selection選択」というprimitiveが働いていることがわかる。Inoteにおける注釈は画像の一部の箇所に付与されているからである。Inoteの用語においては「detail」がそれにあたるものである。Selection選択は、一般的に言っても重要である。というのは、何かの関連する部分に取り組むことを許すからである。InoteとBlakeアーカイブの場合、これは画像検索においてもっとも明瞭に見られる。そこでは、ユーザは、(上の図のような「子供と蛇」を探す場合には)、一つもしくは複数の検索語を選択して、戻ってくる検索結果は、突き詰めて言えば「sector CD of America, Copy A, Plate 13(Americaの画像のCセクションとDセクション、刷りはA、版は13)」という風になる。このアーカイブの初期の頃から、我々はこのようなことをしたいと自覚していた。したがって、このアーカイブのためのマークアップは、編集者がBlakeの版の資格的な内容を記述できるように設計されており、それはグリッド状の位置情報に紐付けられていた。すなわち、四分割してAは左上、Bは右上、Cは左下、Dは右下、Eは全体、といった案配である。それらの位置は結合することもできる(したがって、上記の例では、蛇はCDに登場すると言うことができる)。そして、検索結果は、検索語に対応するその版のセクション編集上の説明を提示する。その下にはInoteボタンがある。ボタンをクリックするとInoteソフトウェアを起動し、特定の箇所にフォーカスをあてつつInoteを開くことのできるボタン(検索結果からスタイルシートで生成される)を表示する。そのようにして、ユーザの検索に応答できるようにBlakeの版を複数のパートに分割してそれらのパート、あるいは版自体を完全に表示するのではなく、むしろ、Blake向けに特化された有用性を発揮できる非常に単純かつ重要な機能的振る舞い(scholarly primitive)に対応するようにInoteを設計することによって、逆に、まったく異なる文脈においても一般的に同じような有用性を発揮できるのである。  Inoteを話題としている間に、先ほど説明したように、そして他の方法でも指摘しておく価値があることだが、我々は、Blakeアーカイブのデータ構造や、より高い次元の(より公理的な)学術的な意図のためにソフトウェアをカスタマイズするという衝動に抵抗することにうまく抵抗してきた。その代わりに、我々は、このソフトウェアを、基本的な、しかし応用範囲の広いprimitiveな機能を提供するprimitiveなツールとして維持してきた。もし今日ここにいる我々が、共同の形であれ個人としてであれ、scholarly primitivesを実現する別のソフトウェアの開発に参加するとしたなら、これは守らねばならない重要な原則である。このようなprimitiveを実現しようとするソフトウェアは実際の学問的な利用の文脈で開発されテストされるべきだが、しかし、カスタマイズには抵抗するべきである。というのは、目的特化型のソフトウェアやプロジェクト中心のソフトウェアは機能的なprimitiveを幅広く支援できそうにないからである。

 もう一つのprimitiveは「Samplingサンプリング」である。これは、selection選択と密接に関連している。サンプリングとは、実際には、何らかの基準に基づくselection選択の結果である。その基準は検索語の場合もある(その場合には、selection選択の結果としてのサンプルは検索された資料の本文に登場する頻度のサンプルということになる)。あるいは、基準それ自体が頻度の割合、たとえば「1秒あたり5フレーム」のようなものかもしれない。その場合、そのサンプルは、5秒ごとにカメラのフレーム内に世界をサンプリングした画像が連なったもの、ということになるかもしれない。ここで、もう一つの画像の事例を提示しよう。これは、様々な種類の人々(聖書、神話、中世の人々)を参照する情報を検索するものであり、ダンテの神曲を扱うDeborah Parkerのプロジェクトである。ここでは、検索フォームは以下のようなものである:

ここにみえるのは、螺旋の形をした詩のモデルであり、この螺旋の中にある一つ一つの円は詩の編(カント)である。そして、それぞれの円にみられる一つ一つの点は、個々の編における一つの業である。円を越えて広がっているのは様々な色の三角の印だが、それらは最初の検索フォームでそれぞれの検索語に割り当てられた色と対応している。結果の全体は、VRMLのモデルとして表示されるため、我々は、その中で移動したり、上方に移動したり、結果表示に近づいて見ることができる。

ここで得られるのは、頻度のグラフ表示であり、サンプリングしたものがこのデータセットの中で生ずる割合を示すモデルである。この例が示すのは、サンプリングはそれ自体が(selection選択の単なる派生ではなく)、一つのscholarly primitiveである、ということであると提起したい。なぜなら、それは、ある種のユニークな機能すなわち、分散とクラスタリングを示す能力を暗示しているからである。

上記の例では、各フラグはTEIでタグつけされたテキストをDynawebで表示する際に、それが示す行へのハイパーリンク(リンク、あるいは参照というもう一つのscholarly primitive)である。このことは、scholarly primitiveのさらなる特質を浮かび上がらせる。すなわち、それは、他のprimitiveと組み合わせて、基本的なUNIXのツールのようにパイプでつないで最初の出力を次の入力とすることができるscholarly primitive の基本的な原則であり、このことは、ユーザにとっては可能であり一般的に行っているものでもある。このことが示唆するのは、さらに言えば、標準出力(STDOUT)と標準入力(STDIN)にあたるものが全体として重要だということである。我々がこれらのprimitivesを学術的な観点で具現化するために構築したツールは、その出力の次に何が起きるかを知らないままに標準的な形式で出力を生成する能力を持っていなければならないか、あるいは、その能力を持つプログラミング言語を用いなければならない。どこから来たのか、何が生成したのかを知らないままで標準的な形式で入力を受け取る能力についても同様である。

「reference参照」に関して言及すべきもう一つの原則は、参照における安定性の重要さである。このことは常に相対的な問題であり、完全に安定した参照というものは存在しないが、しかし、安定しているほど良い。Web上のリンクが機能しなくなるのはこの原則の典型例であり、我々は皆、その文脈における安定性のない参照の問題についてよく知っている。

私が先ほど「例示illustrating (もう一つのprimitiveに数える)」したNEHへの提案書はうまくいかなかったが、しかし、本日、ここでの私の目的の一部は、実際の所、それが良いアイデアであり、政府の助成金があるにせよないにせよ、我々が共同で目指すべきものである、ということを議論することである。なぜなら、まさに今、これらの非常に基本的な研究活動は、ネットワーク化された電子データに関してでさえ、まったく貧弱な支援しか受けていないからである。これらのすべてにおいて、ネットワークの重要性を強調しすぎることはできない。我々が著述authoringと呼んでいる活動のクラスを除けば、スタンドアロンのツールや資料を用いてできるもっとも興味深い事柄は、ネットワーク化されたツールや資料でできるもっとも興味深くないことよりも、興味深くもなければ重要でもない。真の乗数効果とは、他の人々と一緒に、非常に大規模で予測不能な資料の集合体を横断して、たとえ非常に愚かなことであってもできてしまうという時に生じてくるものである。巨大な、本当に巨大なWebの成功と文化的なインパクトは、私が提供できる最高の例である。ハイパーテキスト理論のコミュニティの誰もが述べるように、ほとんどすべての点で、Webはハイパーテキストの実装としては非常によくないものである。それが行ってきた唯一のことは、広く受け入れられた標準を用いるということであり、したがって、簡単にネットワーク化し、ソフトウェアを容易に書けるように前提の単純化を多く行ったということである。結果として誰もがそれを利用し、そして、そこにその価値が存在するのである。すなわち、多くの人がそれを利用し、多くのものを、それを利用している多くの場所で見つけることができるのである。

実際のところ、私は、もう一つのscholarly primitive、すなわち「discovery発見」についての議論の入口として、次のような命題、すなわち、スタンドアロンなツールや資料で実行できるもっとも興味深いことがネットワーク化されたツールや資料でできるもっとも興味深くないことよりも興味深くもなければ重要でもない、という命題を用いたい。それは、研究者が伝統的にアーカイブズにおいて行ってきたことであり、図書館の目録や棚で我々皆が行ってきたことであり、目録や学術論文の概要を検索する際に我々が行ってきたことであり、そして、今もなお発見のためのもっとも効果的な手法の一つであり、つねにそうであってきた、関心を共有したり、単純に共有すること自体に関心を持つ人と対話することである。それは、教師、仲間、そして、学生達である。彼らはしばしば、我々が予測しなかった、したがって求めることもできなかった方法で、我々の仕事にとって重要になるような資料に対する注意を引くことがある。

Webの世界では、発見discoveryのためのもっとも卓越したツールは検索エンジンである。(ポルノグラフィという例外を除いて、検索エンジンが最初に収益を上げたWebのサービスであり製品でもあるということは指摘しておく価値がある)。人文情報工学の世界にいる我々は検索に関していくつかのことを間違いなく知っている。たとえば、構造化データが、とてもよい、より正確で、より有用な検索結果をもたらしてくれることを知っている。そして、たとえ同じエンコーディングスキーマを使っているとしても、正確に同じ構造を持ったリポジトリが二つとないことも我々は知っている。そして、高度に構造化されたデータに対する高度に構造化されたアクセスから得られる利便性がコレクションの範囲に制限されることになり、そして、選択と符号化の原則、そのパースペクティブ、そして場合によっては、その利用規約によっても制限されることがある、ということも我々は知っている。そのことから、私が発見discoveryのプロセスを開始する時、私はいつも、最も構造化されておらず、もっとも一般的な検索から始める。すなわち、Webのグーグル検索である。非常に多くのデータが、ほとんど構造を持っておらず、コントロールしたり予測したり唯一の構造は、検索式だけである。

他の二つのscholarly primitives、注釈annotationと比較comparisonに関する資料を探し始めたとき、私はGoogleに行って「annotation and comparison」で検索を行った。私は学術的な活動としての注釈annotationと比較comparisonに関する議論や事例を探していた。興味深いことに、私が見つけたのは、ヒトゲノムプロジェクトを参照する検索結果であった。明らかに、注釈annotationと比較comparisonは分野横断的な機能的primitivesなのである。私が思うに、もしscholarly という単語を検索式に入れていたら、あるいは、もしGoogle(あるいはWeb上のデータ)がより構造化された検索を使わせてくれていたなら、私はこの検索結果をすぐにはみつけることはできなかっただろう。より構造的なものがあれば、私は、自分が見つけたいものに沿った少数精鋭の検索結果を得られるように自分の検索式を組み立てただろうし、生物学の領域で検索結果を得ることについては何の意図も特別な関心も持っていなかった。しかし、目的外の検索結果によるセレンディピティの価値についての経験を学んだがゆえに、そしてGoogleがどこからでも簡単に使えるがゆえに、私は、(本質的に)構造化されていない大規模なデータを横断する、構造化されていない検索、ただ検索式のみが構造化されているところから始めた。(おそらく、annotation and comparisonを検索する代わりに、もしcomparison and annotation を検索していたなら、それほど興味深い検索結果にはならなかっただろう。)

annotation and comparisonについて発見したのは以下の通りである。すなわち、生物学者もまたそれを行っているのであり、そして、遺伝学においては研究の基礎を成すものである。そのうえ、彼らは、人文情報工学の人々が取り組んでいるのと同様の社会的、技術的、知的問題の多くに取り組んでいる。私がここで最初に指摘したいのは、非常に大きなネットワーク化された情報を横断して実行されるprimitiveの機能の力は非常に大きいということであり、部分的にはさらに大きい、なぜなら、予期しないが意義のある結果をもたらすからである。疑いをさけるため、以下の資料を紹介しよう。左側の欄に掲載されているものだが、1998年にエネルギー省が出資した会議を記録したWeb文書から未編集の抜粋である。それはヒトゲノムプロジェクトに携わる計算機科学者と生物学者との間で行われたものであった。一方、私の二つ目のポイントは、修飾語句をさておくとしたら、scholarly primitivesというトピックから、情報学を特徴付ける一般的な実験の手法と問題点についての議論になるかもしれないものへのまさに出発点(そして出口)である。そして、資料の左側の欄には医療情報学についての議論があるが、右側の欄では、「ヒトゲノムプロジェクト」を「人文学分野プロジェクト」に、「生物学者」を「人文学者」に、「実験室」を「図書館」に置き換えている。しかし、それ以外にテキストには何も手を付けていない。私はこの改訂版を声に出して読みたい。というのは、私が思うに、我々はこの経験から重要な何かを学ぶからである。しかし、それをする前に、言わせていただきたいことがある。それは、私の検索結果を通じて私がしたことは、ある示唆的な方法でそれらを変形させるということである。そして、変形は表現の一種であり、もう一つのscholarly primitiveである。表現representation(左側)と変形deformation(右側)から学べることが、ここには示されている。 (以下、Human Genome ProjectとHumanities Genres Projectを並べたものが提示されているが、あとは原文を参照されたい)